【被災地の復興支援】 いまの自分にできる範囲内のことを、できる限り精一杯、しかし無理せず息長く。 2
※前稿に続き、気仙沼でのボランティアと被災地の話です。
●震災時の状況と犠牲者の話
地元の方の話では、気仙沼湾の東に位置する大島が天然の防波堤となり、気仙沼市街区(本土)の被害規模を最小限に抑えることができたのだそうです。
大島は、想像を絶するほどの津波のエネルギーをまともに正面から受けたのです。
津波が東西から合流し島を分断したという話について、実は津波が合流した地点では南側の沢からも津波が襲いかかり、三方向からの波がぶつかり合ったという話を聞きました。東から来た津波が沢に流れ込み、その沢から溢れでた海水が南側から押し寄せたということです。
それにしてもこれほどの大津波で犠牲者が30数名程度で済んだ(http://bit.ly/oNbRCo)のは、津波に関する過去の記録が残され、伝承されてきたからだろうと思います。
しかし、その犠牲者の方々を救いたくとも救えなかったみなさんの心は深く傷ついており、一生消えることはないだろうと、ある住民の方は言います。
地震が起きた直後、高台に避難した島民は多かったそうですが、中には仕事場や自宅に戻り、そのまま流された方も少なくはなかったようです。
避難した自分のすぐ近くを、家族や親戚や隣人、友人などが流されていくのを見て、何もできずにただ立ちすくむだけ。そのような経験を多くの島民がしたそうです。
いつも聞き慣れた声で「たすけて!」と叫び流されていく姿が焼き付き、眠ることもできず、心身共に不安定な方もまだまだいるようです。
東北の被災地の方はみな、今もこの重く苦しい心の傷で病んでいるそうです。
ある幼児の話を聴きました。
地震の後、あるお爺ちゃんとお婆ちゃんは孫の男の子が心配で、高台の保育園(幼稚園?)に迎えに行きました。そこの園児は全員その場に避難していたそうですが、お爺ちゃんとお婆ちゃんは、孫を引き取り自動車で自宅に向かいました。
自宅に着いたか、或いは所用で途中どこかに立ち寄ったかは失念しましたが、孫の家に向かう準備のためにお爺ちゃんとお婆ちゃんが車から降りている時に、津波が襲いかかりました。
叫ぶ老夫婦に為すすべはありません。孫の男の子は車に閉じ込められたまま流されていきました。
それから4ヶ月ほどが経ったある日、海で漁をしていた漁師さんが海に浮かぶ自動車の屋根を見つけました。
その日は雲も厚くどんよりとしていましたが、その車のあたりだけが1本の日が差し、まるで神の光のようなもので照らされていたそうです。
車内にあった歯形とDNAから、孫の男の子だとわかりました。
鑑定をした歯科医からは「虫歯が1本もないとても健康な良い歯です。とてもえらい男の子ですね。」と誉められました。
●「頑張りましょう」「うん、頑張んなきゃぁね」
ボランティア終了後は港まで徒歩で向かいました。島で最も高い亀山の麓の高台に光明寺という真言宗の寺院があり、「不動明王が島民の仏性を育んでいるんだなぁ」「地震の後、こちらに避難された島民も多いのだろう」などと思いながら、港に向かい下りていきました。
帰路は、農作業をされる方、壊れた自宅の修理をされる方、他のボランティアの現場など、島民やボランティアのみなさんと挨拶をしながら、港に帰ってきました。
被災した自宅を片付けている年配のご主人の姿がありました。窓にはガラスが一枚もありませんが、家の中は綺麗に掃除され、いかにもリフォーム中であとは壁を塗り戸や窓ガラスを入れるだけ、というようなお宅です。
他の島民のみなさんと同様、我々を見ると「どうもありがとうございます」と感謝の言葉をくださいました。
他のお宅でのボランティアであっても、島民のみなさんはみな、ボランティアに対し感謝の言葉をかけてくれます。
私は右手を突き上げ、このご主人に「頑張りましょう」と声を掛けたのですが、ご主人は「うん、本当に、頑張んなきゃぁね」「みなさんのお陰で頑張れるよ」と返してくださいました。
ボランティアのことを「復興に向けて苦楽を共にできる協力者」というような気持ちで受け入れ、認めてくださっているのかなと思い、とても嬉しい気持ちになれました。
●自動車道から見た仙台市の更地と松林の跡
翌18日の日曜日は、松島から仙台経由で東京に向かいました。
松島方面から自動車専用道路で仙台東インター付近でした。進行方向左側に更地になった緑の平地と、その先には以前は松林だったであろう、数本の松がポツポツと残る風景がありました。津波に襲われた仙台市の若林区です。
そのまま自動車道を進めば名取川が流れる名取市方面です。
気仙沼と同様、若林区の瓦礫はもう殆ど撤去され、更地には何もありません。雑草だけです。
この地区の瓦礫はもの凄かったそうです。行政と地元のみなさんの努力でやっとここまできたのだと思います。
大勢の方々が被災地支援と復興に向け尽力されている中で、私のできることはほんの僅か、微々たるものです。しかしこれからも、その時の自分にできる限りのことはさせていただく。そのための一歩を、今回踏み出せたのだと実感します。
その時にできること、それは、義援金や支援物資を届けることかもしれませんし、ボランティアへの参加かもしれません。或いは、被災地の製品を購入したり、被災地支援を啓蒙することかもしれません。
その時にできることを精一杯やる。
それを継続する。
こうして一人ひとりが何かできることを実践し、一緒に復興への取り組みをしていきたいと思います。
【参考】
気仙沼市大島HP
http://www.k-macs.ne.jp/~oshimahp/
Wikipedia 大島 (宮城県気仙沼市)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6_%28%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E6%B0%97%E4%BB%99%E6%B2%BC%E5%B8%82%29
気仙沼市社会福祉協議会ボランティアセンター
http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10247
気仙沼大島災害対策本部のオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/kesennumaoshima-saitai/
河北新聞記事 ~ 証言/気仙沼・大島の津波/伝説の「島三分断」寸前
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110528_01.htm
【小沢一郎氏の支持拡大ツールです】
下記データを印刷あるいはメール送信などにて、友人・知人・ご家族などにお渡しいただき、小沢一郎氏の支持拡大にご利用ください。
小沢一郎氏の決意表明「私には夢がある」 全文
※昨年9月14日民主党代表選挙当日のものです。これを知らない国民が多いのです。
PDFファイルのダウンロードと印刷 ⇒ http://bit.ly/e8fVSx
※印刷は両面印刷でどうぞ。
検察審査会の疑惑と起訴議決について~小沢一郎の正論
(民主党倫理委員会への小沢氏の主張)
PDFファイルのダウンロードと印刷 ⇒ http://bit.ly/hBJaIo
※印刷は両面印刷でどうぞ。
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寄付の額はご本人の意思でいくらでもかまいませんし、回数は、一回限りでも毎月の献金でも、或いは年払いでも、ご都合で判断してください。
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■必見!必読! 緊縮財政・増税論に騙されるな!消費税増税の必要はない!
(平
成22年2月24
日 衆議院予算委
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「今
こそ垂直的な所得再分配の再構築で経済復興・格差と貧困の是正・財政改革を」
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▽菊池英博・日本金融財政研究所所長
「経済のイ
ロハを知っていれば考えられない旧政権によるデフレ下の緊縮財政」
⇒衆議院テレビで映像を観る ⇒質疑の会議録を活字で読む
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