カテゴリー「八ッ場ダム」の記事

2010年5月20日 (木)

拡散希望 ⇒「八ッ場ダム建設中止ネット署名」の呼びかけ

保坂展人氏が4月30日に「八ッ場ダム建設中止ネット署名」の呼びかけ  をされていました。この件で、政権発足からこれまでの八ッ場ダムに関わる動きやニュースをまとめ、その上で「ネット署名」を呼びかけるつもりでいましたが、記事にする時間を取れないままズルズルといってしまいそうなので、お知らせのみさせていただきます。

どうか、この保坂氏のネット署名の呼びかけを拡散してください。宜しくお願いいたします。

ネット署名は「八ッ場あしたの会」 で「オンライン署名」をクリックすれば可能です。
私も家族全員で署名し、親兄弟・知人にもお願いしました。


↓↓↓ 以下、本日(5月22日)追加しました。↓↓↓

上記案内だけでは、「八ッ場ダム建設中止ネット署名」の主旨も八ッ場ダムの現状についても、ご理解いただけないと思いますので、下記の通り、保坂展人氏のブログから「八ッ 場ダム建設中止ネット署名」の呼びかけ を転載します。

ダム建設は、その地域の歴史と文化、自然環境、生態系、そして地域住民の人間関係と地域社会そのものを破壊します。加えて八ッ場ダムの場合、地滑りや土砂崩れ、高濃度ヒ素の不法投棄といった人命に関わる問題まで指摘されていますが、マスメディアはこれらを黙殺し、国交省による工事進展を後方支援しています。

普天間、口蹄疫、官房機密費のメディアとカネ、郵政、そして小沢・鳩山失脚キャンペーンと参議院選などなど、日々考えさせられる問題が溢れていますが、完璧に国交省官僚の手の内にある”軽薄・軽率・KYマエハラ君”こと売国派前原大臣の担当する八ッ場ダムも、これらと同列の、私たちが取り組むべき重要問題です。

八ッ場ダム建設を中止に追い込み、私利私欲の利権追求型ダム行政を否定することは、国民が日本人としての誇りと魂を取り戻すための闘いでもあります。

※署名の第二次〆切は2010年6月末日です。

※保坂展人氏が取り上げてこられた八ッ場ダム問題の記事は、カテゴリー「公共事業チェック」 で読むことができますので、是非アクセスしてください。


<転載開始>

普天間基地問題の影であまり語られなくなった八ッ場ダム問題だが、深刻な事態に陥っている。八ッ場ダムの工事がどんどん進んでいることだ。「コンクリートから人へ」のシンボルとなった感のある「本体事業中止」の前原大臣の方針は土台から揺さぶられている。内閣改造がもしあったら、八ッ場ダム建設再開に舵を切る危険性がないとは限らない。私が年末年始を返上して取り組んだ『ヒ素汚染問題』も、朝日新聞が報道したものの一般的には知られていない。そんな時、八ッ場あしたの会の渡辺洋子さんからメールがきた。ネット署名を始めるという呼びかけを「拡散」させてほしいとのことだ。

〔引用開始〕

八ッ場あしたの会の渡辺です。

昨年の政権交代で「八ッ場ダムの中止」方針が示されましたが、ダム推進派の反発により、八ッ場ダム事業は中止のメドが立っていません。 ダム予定地では今も全国から集まった何百台ものトラックが 山を崩し、沢を埋め立て、ダム事業の完成を目指しています。

八ッ場ダムは1都5県(東京・千葉・埼玉・茨城・栃木・群馬)の知事が推進しており、首都圏のターミナル駅で埼玉県知事、自民党県議らが推進署名を集めています。推進派は集まった署名を前原国交大臣に届け、民意が「八ッ場ダム完成」にあることを伝えるそうです。

私達は、災いをもたらし続けている八ッ場ダムの中止こそ民意であることを鳩山総理、前原大臣に伝えるため、オンライン署名を始めました。

http://yamba-net.org/modules/page/index.php?content_id=1


要望事項

1.八ッ場ダム事業などを中止して下さい。
2.現地住民の生活再建を早期に実施して下さい。

この署名活動をより多くの方に伝えるために、お力添えください。

---
渡辺洋子
八ッ場あしたの会


〔引用終了〕


国交省、ヒ素汚泥を投棄 八ツ場ダム上流の素掘り処分場

朝日新聞・2010年4月22日 16時3分  

 国土交通省が汚染拡大を防ぐ設備のない素掘りの産業廃棄物処分場を群馬県に設置し、大量のヒ素を含む汚泥を長年投棄していることがわかった。廃棄物処理法などで汚泥の処分は遮水設備のある処理場が必要だが、許認可権を持つ群馬県が無害の「土砂に準ずる」と独自に解釈して、素掘りの処分場への投棄を認めていた。

 この処分場は、国交省品木ダム水質管理事務所が、群馬県の許可を得て、同県中之条町の国有林内に2005年に設置した管理型廃棄物最終処分場「C土捨て場」(埋め立て容量32万立方メートル)。ここに運び込まれるヒ素を含んだ汚泥は強い酸性の川水を中和する事業でうまれる。中和事業は下流にある計画中の八ツ場ダムなど吾妻川の構造物を劣化から守るのが目的だ。

 吾妻川の上流のpH2~3の水は、石灰液を投入してpH5~6程度まで中和される。このときに汚泥が発生して品木ダムにたまり、年3万立方メートルほどずつ浚渫(しゅんせつ)され、固化剤(セメント)を加えて処分場に投棄されている。

 汚泥に含まれるヒ素は、上流の鉱山跡などから流れてきているとみられ、国交省は設置の申請時に「(川の水)1リットル中2ミリグラムのヒ素が含まれ、その8~9割を石灰投入で除去」と県に説明していた。

 国交省のダム湖底の汚泥の分析では、04年時点で汚泥1キロあたり最大5.6グラムのヒ素が含まれていた。農地での土壌環境基準の370倍以上にあたる。

 産廃処分場には、浸出水による汚染を防ぐための遮水シートや浸出水処理設備のある「管理型」と、それらがない「安定型」がある。安定型処分場は素掘りで建設や管理が容易で安価だが、持ち込める産廃は外部を汚染する恐れが小さい廃プラスチックなど数品目に限られる。

 産廃である汚泥は管理型で処分しなければならないが、群馬県は「汚染が広がる廃棄物ではない」として「土砂に準じる扱いになる」と独自の解釈で認定。遮水シートや廃水処理施設のない処分場なのに、名目だけの「管理型」として設置を認めた。

 国交省は、この処分場以前にも1989年と92年に2カ所の同様の処分場を設置した。当時は届け出制で、今の許可制のような厳しい審査はなかった。浸出水からヒ素が検出され、排水基準を超えたこともあったが、国交省はC土捨て場設置の申請書類で「浸出水に汚染物質は含まれていない」と記載していた。

 環境省は「有害物質を含む産廃を『汚染の恐れなし』とどうして判断したのか関心を持っている。県から事情を聴きたい」と話している。

 群馬県廃棄物政策課は「周囲に人家がなく、漏水してもいずれ品木ダムに流れ込むので問題ない。これが問題なら品木ダムの底にも遮水シートが必要になる」と主張。国交省品木ダム水質管理事務所は「県の許可を受けており問題はないと考える」としている。

 東京都市大の青山貞一教授(環境政策)は「群馬県が汚泥を実質的な安定型処分場に廃棄してよいと認めるのは非常に脱法的な行為。『不法投棄』を追認しているに等しい」と指摘。福岡大の浅野直人教授(環境法)は「今回の事業者が民間業者だったら群馬県は同じ対応をしたのだろうか。民間と国とで対応が異なれば不公平であり問題だ」と話している。(松尾一郎)


〔引用終了〕

 この問題で私は、2月に群馬県前橋市で報告した。その様子をビデオで編集してもらっているので紹介しておく。

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<転載終了>




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2009年10月17日 (土)

八ッ場ダム問題 長年苦悩された住民の声(転載)

「八ッ場あしたの会」  に掲載されている現地の方の声です。
自民党と官僚に与する利権集団および関係者によるダム中止反対の声とは異なり、ここには、国策に50年以上も翻弄され、苦悩の日々を送られた住民のみなさんの生の声があります。
まだ読まれていない方へと思い、以下転載します。


2005年2月7日 沈黙する水没予定地の人々  から住民の声を抜粋

    * 「すべては最初のボタンの掛け違いが、問題をここまで長引かせてしまった原因。でも私たちは、もうダムのことは考えたくもないというのが本音。多くの住民がこんなにも長い間、ダムに翻弄され、人生を台無しにされてきた。その挙句、今また路頭に迷うのではないかという不安に苛まれている。八ッ場ダムの事業費の中には地元の生活再建も含まれる。税金のムダというだけで割り切られてはたまらない」

    * 「もともとダムができていいなんて、思ってる人はいなかった。でも、長年の闘争でイヤというほど国の力を思い知らされた。もう、ここには抵抗するだけの気力もエネルギーも残っていない」 

    * 「老人はこの土地に愛着をもっているが、子供たちの世代になると・・・。過疎地には魅力がないと若い人が出て行くのは止められない。金がすべての世の中になってしまって寂しいね」 

    * 「よその人には水没地の者の気持ちは、本当にはわかってもらえない。代替地に住みたいとは思っていない。でも、この歳になって新しい土地になじめるとは思えない。」 

    * 「代替地に移ることに不安を感じている人は案外多いと思う。まだ完成もしていないし、安全かどうかもわからない。他のダムでは、完成してから地すべりが起きて住民が犠牲になったという話も聞く。このまま国の言うとおり、移転を考えてもこの先どうなるか・・・」 

    * 「八ッ場のダム反対闘争のために水特法もできた。私たちはやれるだけのことはやった。でも、現状を見れば、すべて水泡に帰したということ」 

    * 「みんなが選挙で今の体制を支持している。民主主義だから仕方がない」 

    * 「補償基準に調印したとたん、国交省は冷淡になった。でも、ダム事業が中止になれば、生活再建にも税金をかけてはもらえないから、止まるのも困る」 



2005年11月3日 水没予定地住民より、首都圏下流の皆さんへ   から一部抜粋

水没者はどこまでいっても犠牲者なのだ。これを癒してくれるものは何もない。
国策の名の下に、下流受益都県の人々のため、という名目で、故郷を奪われ、家をなくし、人の財産や名誉、さらには人生までも台無しにしてきたダム行政、水行政を根本的に見直すことを、この際、強く望みたい。


そして最後に、2009年5月14日  古里をあとにして  から全文引用

古里をあとにして 竹田博栄  

 吾妻郡の八ッ場ダムは、話が始まってから50数年がたった。今では過去のことを知る人も少なくなった。

 水没世帯340戸、水没人口1170人の大半は、遅々として進まぬ代替地の造成や現地での生活再建に見切りをつけ、後ろ髪を引かれる思いで住み慣れたふるさとをあとにしている。

 八ッ場ダムはどうしてこんなに色々な問題を抱えているのだろうか。端的に言えば、あってもなくてもよいダムだったのではなかろうか。だから完成の目安はあっても、期限がないのだ。
 そもそも八ッ場ダムは、昭和22年に襲来したカスリーン台風に端を発し、昭和22年に主に洪水調節を目的に構想された。昭和27年といえば終戦まもない混乱期で、日の丸、君が代の匂いがとれなかった時代である。
 利根川水系で川幅が一番狭いところ、そこが吾妻渓谷の八ッ場であった。水さえ貯めればよい、今のように環境アセスメントもなかった時代、地元住民の意見など聞く気もなかったのであろう。対話のないやり方、住民無視のやり方に腹を立てた住民は反対期成同盟を立ち上げ、徹底抗戦に臨んだ。反対の理由として、険しい地形で犠牲を伴わない再建はできない、近くに代替地が見あたらない、過疎化で町がすたれる、などが主な理由であったが、現実にそのようなことになった。

 当初は猛烈な反対運動が展開されたが、群馬県の清水知事(1976~1991年)は、水没住民の生活再建が第一義だとして、群馬県独自の生活再建案が作成された。住民はあらゆる可能性を模索しながら166項目からなる生活再建案を見直し、修正を加え、新たに32項目の要望を追加し、実に6年の歳月をかけ、住民一体となって再建案を承認した。

 この再建案が確実に実行されれば、現在よりも便利で近代的な新川原湯温泉が誕生し、ダム湖を中心とした一大観光地として脚光を浴び、その中で安定した生活ができるものと、住民はそう信じ、希望と期待をもち続けてきた。しかし、いつまでたっても生活再建事業、代替地造成は実現しなかった。いったい我々が夜を徹して作ったあの生活再建計画は何だったのだろうか。長い間の不安定で抑圧された生活、やり場のない憤りも、いつしか諦めに変わっていった。
 こうして50有余年、住む家も心もぼろぼろになりながら、耐えに耐えて過ごしてきた。
 八ッ場は急峻な土地で、周辺に宅地を造るような場所はなかったが、強引にいわゆる「現地再建ずり上がり方式」がとられた。八ッ場ダムのある所長が、「こんな大きなところで現地再建など聞いたことがない」と言っていたが、起業者側では誰もが内心は現地再建は無理だと思っていたようだ。ずり上がり方式による代替地は、山を崩し、谷を埋めて造らねばならない。それは想像以上の難工事だった。
 八ッ場では代替地の第一期分譲がようやく終わり、第二期分譲が始まろうとしている。川原湯の代替地では、第三期分譲地区に温泉街が移転することになっているが、ここはまだ進んでいない。
 年々進む高齢化、不況による物価の高騰、不安定な社会情勢、建物や諸設備の老朽化、さらに転職や就職、また学校の転校や進学など、個人個人によって事情は様々であろうが、自分の生活は自分で守り、築いてゆかなければならない。八ッ場では自分たちの将来設計、生活設計を立てることもままならなかった。こうした現状から脱皮するには、八ッ場を去らなければならない。苦渋の選択に至るまでの心の葛藤は計り知れないものがあった。

 代替地造成はなぜこれほど遅れたのだろうか。川原湯の造成地(打越地区)となった場所は、国有林の占める割合が大きかったが、代替地へ行く工事用進入路の大半は民有地だ。地主が承諾しなければ道路ができなかった。地元住民は「立ち入り調査の協定」、「用地補償調査の協定」を結び、いちおうダム建設を認めたが、それは総論賛成、各論反対で、起業者のやり方には反発があった。それが代替地造成の遅れにつながったのだ。
 住民の中には、代替地の様子を見て、よければ現地に残ろう、悪ければ転出しようと思っていた人もいたようだ。けれども予想したより環境が悪く、さらに道路整備が遅れ、いつになったら全線開通するのか予測がつかないからと、転出に踏み切った人もだいぶいた。
 ダム建設に当たっては、水没予定地に住む住民の代替地をまず用意し、その後の生活再建を実現してから事業を進めるのが本当ではないだろうか。一方的に調査、調査で事業を進め、住民は置いてきぼりだった。なぜ最初に住民のことを考えなかったのか。過去のことではあるが、折があればただしてみたいと思っている。

 山村の集落というものは、数十戸から数百戸の単位で形成されている場合が多い。昔の落人ではないが、親兄弟を軸に親類縁者で形づくられている集落もある。住民は集落の殻の中に閉じこもり、部外者を嫌う傾向がある。
 もともと川原湯は40戸ほどの世帯しか住んでいなかったという。太平洋戦争のとき、草津白根の硫黄と六合村の鉄鉱石を運搬するため、渋川から突貫工事で鉄道を敷設したときの工事関係者の中には、川原湯の周辺に残った人もいた。鉄道は最初は貨物専用であったが、戦後は観光路線となったため、山中の素朴ないで湯、川原湯温泉は脚光を浴びるようになり、人口が増えていった。
 川原湯は小さな集落ながら、温泉を抱えた観光地である。旅館主は一匹狼的な人が多く、商店、勤め人、農家、炭焼き、職人など様々な職種が混在していたから、話がなかなかまとまらず、逆に一方的に有力者によって物事を決められてしまうことも多々あった。このような地元の事情をよく調べもせず、ダムさえ造ればよしとするやり方が悲劇を生んだ。

 こうした悲劇は八ッ場で終止符を打ちたい。われわれは「生活再建」という言葉に翻弄され続けた。下流都県のためという名目で、水没関係住民が犠牲になるダム行政は根本的に見直されることを、この際、熱望する。
 安住の地を求めてふるさとをあとにしたが、ダム問題から解放されて気がついてみれば、もう八十路である。この安らかな土地に、あと何年住めるだろうか。

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2009年10月 4日 (日)

原理原則を考えれば八ッ場ダムの結論は中止

このところ、八ッ場ダムの問題について自分の考えを書きたいと思っていたが、なかなか時間を取ることができず、ムズムズしていた。
八ッ場ダムへの私の思いは決まっており「即刻中止」「住民への最大限の補償」「水没予定地域の再建」以上である。
これは予算の問題ではない。これまでの倍であろうがそれ以上であろうが、失われた日本人の誇りと魂を取り戻すために、誤った過去を清算し心豊かな日本を取り戻すために、予算なんぞ無視して取りかかるべき課題である。

14~15年前であるが、川原湯温泉あたりから上流の、その景観のすばらしさに圧倒されたことを思い出す。丁度紅葉の時期であった。草津方面に向かう車を止め、途中下車し、鹿飛橋から不動の滝あたりまで、紅葉と落ち葉の中を散策した、その時の情景がしっかりと今も思い浮かべられる。出会った地元のみなさんの、素朴で優しい人柄を思い出す。
しかし、私の八ッ場ダム建設中止への意思は、そのよな情緒的なものが判断材料とはなっていない。
物事の「原理原則」を考えれば、このような結論に至る、それだけのことである。

私は、日本だけでなく、世界規模でこれ以上のダム建設は、余程の理由がない限り廃止すべきとの考えを持っている。
環境破壊、環境異変、生態系破壊、そして歴史と文化の喪失と、リスクがとてつもなく大きい。
日本でのダム問題では、立ち退き要求を受ける住民同士の人間関係が崩壊し、その結果、家庭と地域社会が崩壊する事態にまで陥っている。賛成か反対かで深くひびの入った人間関係が、今後修復するかは不明である。しかし、先祖代々その土地を受け継いできた者であれば、補償さえあれば、誰もが再度元の居住地に戻りたいと、そうは思わないだろうか。私が故郷で同様の問題を抱えれば、100%間違いなくそう思う。
生まれ育った土地と風景、臭い、歴史、先祖の墓、学んだ校舎、互いに助け合い相談し合った人間関係。そのことを思い起こし、国と自治体、住民とで再建へと話し合う場を、一刻も早く設けて欲しいと願う。長年ダム建設に反対しながら、不幸にも同意し居住地を移られた皆さんには、国が住民の皆さんと膝と膝をつき合わせ、誠実に対応し、納得のいく水没予定地域の再建が得られることを願う。

天下り先を設ける政治家と官僚、利権を求めそこに群がる業者といった、日本を破壊するこの利権集団こそ、破壊されるべき対象である。
優先されるべきは、住民の生活、心、歴史、環境、といったことであり、治水や災害防止については、それが最重要課題であると立証された場合であろう。

それでは、八ッ場ダム問題を考える上で重用なサイトとブログを以下に紹介する。
八ッ場ダムに関心を持つ方であれば既に訪問済みという方が多数であろうが、「これまでは深く考えていなかった」「これから考えてみたい」という方にはお役立ちサイトである。
ちなみに、八ッ場ダム建設推進派のサイトやブログは私自身が読まないし、知っていても紹介しません。悪しからず。
物事を考察する上で、対峙する二つを見ることは重要であるが、ダムのような不要案件について官僚発の偏った報道や推進派の意見を聞くことは、時間の無駄である。

八ッ場あしたの会
八ッ場について考えるなら、まずはこちらのサイトを十分に読んでから考えたいものである。以下のページの他にも、重要情報満載のサイトである。

八ッ場あしたの会が”マスコミの八ッ場ダム報道の誤りを指摘” しています
八ッ場あしたの会に転載された まさのあつこ氏の”八ッ場ダムの七不思議”
まさのあつこ氏のブログ「ダム日記2」
八ッ場あしたの会 YouTube チャンネル (必見!)

保坂展人のどこどこ日記 から
「八ッ場ダム」失敗を認めてこそ日本が変わる
八ッ場ダム、とめどなく溢れる思考停止報道
八ッ場ダム、ユキダルマ式にふくれた「もったいない」の嘘
八ッ場ダムが「災害」を増幅する危険性

保坂展人氏が八ッ場問題を連続で取り上げたため、ブログへのアクセス数が相当な数になったとのこと。
本日(10月4日)にも現地取材のレポートをまとめ、ブログにアップされるそうである。

THE JOURNAL 記事「八ッ場ダム関連に国交省176人天下り!」
八ッ場あしたの会にアップされた”八ツ場ダム推進を審議会で決定した天下り委員の実名入り記者クラブ配付資料(頁の一番下の表)”


次は、リンクしても記事が下の方で探しにくいと思うので、それを転載する。

週刊金曜日<金曜アンテナ(2009/10/2)から転載>
八ッ場ダム建設 自称「住民」町議が中止反対を煽っていた

 新国土交通大臣の八ッ場ダム中止宣言を巡る報道が過熱。その裏で、ご当地の群馬県長野原町議会に、報道されない対照的な二人の町議がいる。
 一人は中止宣言の翌日、九月一七日に同町議会に提案された「八ッ場ダム建設事業の継続を求める意見書」に、「生活再建については賛成。しかしダム本体着工については取り除いていただきたい」と異議を申し立てた牧山明町議である。町議会が推進に転じて以来、初のダム反対だ。「町民の一定数は反対。その声を今代弁しなければ。“村八分”も誤解もあるだろうが覚悟の上」と心境を語る。
 もう一人は、前述の意見書を共同提案した議員の一人。テレビ報道にたびたび登場し、ダムを見下ろす先祖の墓前で「住民」として「ダム完成は住民の悲願」とコメントする星河由紀子町議である。議会後、町議でありながらテレビ出演で「住民」を標榜する理由を尋ねると、「議員として言えば議員全体の考えになってしまう」と弁解。各議員の意見が違うことぐらい視聴者は分かると言えば「深く考えなかった。ウッカリしていた」と応じる。
 同議会では、九月一〇日に「八ッ場ダム推進協議会」が、ダム完成を求める署名を「『住民』発議」で始めたと報告された。しかし経緯を聞くと、「突然の中止明言にどう行動を取ったらいいのか分からない住民が相談し、萩原渉県議の考えで集めることになった」と星河町議は述べた。
「住民」を標榜する町議や県議が暗躍する中、九月二三日に前原誠司国交大臣が町を訪れた際には、ホンモノの住民は、いつどこに大臣が来るのかを知らされず、一方的に「意見交換会の中止」を告げられた。「ダム中止反対」住民報道の一角には少なからず演出が混じっている。
まさのあつこ・ジャーナリスト


次に、下記ブログを参照いただきたい。
みなさん、各々の観点から鋭い意見や未知なる情報を提供してくださっている。

棒に怒る日本人から
「八ッ場ダムを考える(1)」
「八ッ場ダムを考える(2)」
「八ッ場の追記」
神州の泉「脱ダム・国土復興」は長期国策にする必要がある!!
反戦な家づくり「八ツ場ダムの責任とは?」
永田町異聞「ダム中止の阻止にうごめく天下りOB」
日本の片隅で「バカ!」と叫ぶ から
「八ッ場ダム 政権交代あればこそ出て来た国家の膿」
「谷垣総裁が八ツ場ダム視察 「特定事業を血祭り」!?」



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