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2011年10月 3日 (月)

【被災地の復興支援】 いまの自分にできる範囲内のことを、できる限り精一杯、しかし無理せず息長く。

9月17日(土)、ボランティア参加のため気仙沼の大島に行ってきました。16日(金)の夜に東京を出発し、土曜日に、たった1日でしたがボランティア参加、翌18日(日)夕刻に東京へ戻ってきました。

震災から半年も経ってのボランティアでした。もっと早く被災地に行って、何でもいいから手伝えることをさせて欲しいと思っていましたが、しかし、職場は休みを申請できる状況になく、自分の体調にも不安があり、この6ヶ月間殆ど何もできませんでした。

これまで、義援金には取り組みましたし、地元の衆議院議員・木内たかたね氏(http://takatane.com/ )の被災地支援活動に賛同し、支援物資を被災地へ届けていただくこともしました。

けれども、棺直人政権の「無為無策=被災地見殺し政策」への憤りと、「被災地に入り現地でお手伝いをしたい」し「被災者の方々の声を直接聴きたい」との思いも募り、自分は政府や官僚、東電らを非難するばかりで、まだまだやるべきことができていないとの自責と焦燥感から、ストレスも増すばかり。そんな不健康な日々を続けていました。

ですから遅まきながらもこうしてボランティアに参加できたことは、被災地のみなさんがこの半年間大変なご苦労をされた中での、本当にちっぽけな、僅かな援助にしかならなかったとは思いますが、その小さな支援を今後継続していくためのスタートラインに、やっと立つことができたと、そんな気がしています。現地でのボランティアに参加したことで、「義援金や支援物資だけではだめだ」「ボランティアもしなければ」などと囚われる必要はないということに気づきました。

被災地の復興には長い年月がかかります。まだ走ったこともない人がフルマラソンをするようなものでしょう。
ですから、これからは「決して無理せず、いまの自分にできる範囲内のことを、できる限り精一杯させてもらう、そしてそれを継続する」ことが大事だと思います。息切れすることのないように。。。


それにしても時代は変わりました。阪神淡路大震災の頃とは違い、とにかく有給休暇が取りづらいです。
阪神淡路大震災の時には有休をボランティアに割くこともできたのに、(あの当時とは勤務する会社は異なり、業種業態が違えば職場の環境も違って当然ですが)今は、人員削減と効率化のお陰で連続して有休を取れる状況にはありません。
大企業、それもオフィスワークに従事する人たちでなければ、有休消化もなかなか進まない、というのが現状なのではないでしょうか。


さて、ボランティア当日の話に入ります。
※今回、被災地での写真撮影は行いませんでしたので、記事中、現地の写真はありません。ご容赦ください。


私が訪問した気仙沼市は、宮城県の太平洋沿岸の北端に位置し、南には南三陸町、北は岩手県の陸前高田市、その北に大船渡市があります。
今回は、その気仙沼市の大島でのボランティアに取り組みました。


●9月17日 7:00am 気仙沼港の惨状

17日の午前7時前に気仙沼港のフェリー発着所(エースポート)前に到着しました。
このエースポートは本来観光船の発着所で、フェリーは気仙沼港の埠頭部入り口方面にある気仙沼商港岸壁に発着し、3.11以前はそこで乗船していたようです。しかし商港岸壁が大津波による壊滅的被害を受けたためフェリーの接岸不能となり、現在はエースポートを使用している状況です。
http://www.oshimakisen.com/html/gaiyou/index.html#map

エースポート周辺は、津波で被害を受けた家屋や建物が残されています。傾いたり、2階まで窓や壁が破れたままの建物ばかりです。非常用らせん階段の柵が3階部分まで歪んでいるビルもありました。

エースポートビルでは、2階の壁面が大きく剥がれたところもあります。何か巨大な物が流され衝突した跡のようでした。
観光船用の桟橋が全て海に落ちています。これは津波に流されずに残った桟橋の一部のようです。落ちた桟橋のすぐ先にはコンクリート製の大きな柱8本が海から顔を出していますが、おそらく、桟橋を支えただけでなく乗降用も含めた他の建築物の柱でもあったのでしょう。

港湾部の地盤沈下も顕著です。我々が港でバスを降りた午前7時は、調べてみると満潮の直後だったようですが、岸壁から僅か40~50cm下に海があり、数メートル内側の土は陥没して海水が入り込んでいます。港べりの住宅も地盤が沈み込み、車のガレージなのでしょうが、ボート用ではないかと思うほどに海水に浸っていました。
フェリー乗船後に船上から見た気仙沼市魚市場は、床が海面と同じ高さで、一部は海面下にあるようにも見える状況でした。燃料タンクから漏れた重油で火災を起こした埠頭部も、道路が海に沈んでいるところも確認しました。

この埠頭部では、企業や工場、倉庫などの大きな建築物の骨組みだけが残ったり、大破した壁や屋根しかないものが殆どです。中には、火災で焼け焦げた建物もありました。
津波は埠頭部の先端方面から襲いかかり、工業団地を飲み込み、更にその奥の市街地に向かったのでしょう。建築物の被害状況を見ると、津波の高さは10mかそれ以上だったのだと思われます。津波が気仙沼港入り口の大川河口から川を遡り、川沿いの街並みも飲み込んでいったことが窺えます。

気仙沼港一帯は全体的に、建物よりも更地が目立ち、瓦礫の山は殆ど見受けられません。流された大量の自動車が岸壁に山積みにされている程度です。
震災から半年間の、復興に向けた足取りはどのようなものだったのか? ここまでの、自治体と地元の方々、ボランティアのご苦労はどれ程だったか? 震災後の状況を知らずに今頃現地に入る者には、それを思い描く想像力が求められると、そのように思います。

気仙沼港の地形が理由なのかもしれませんが、最奥部のエースポート周辺よりも埠頭部とその奥の市街地へ向かう方面の被害が、より甚大であったように窺えました。
埠頭部の岸壁を襲った津波のエネルギーは、平地が奥へと続く市街地に向かったのでしょう。最奥部のエースポート周辺へは、エネルギーが拡散され幾分弱まった津波が向かったと、私はそのように想像しています。


●大企業のボランティア活動について思うこと

我々よりも先に気仙沼港に入っていた三菱電機労組のみなさんが、一便早いフェリーで大島へと向かいました。
3.11以降、商社や製造業など大手企業が被災地に社員を送り込んでいますが、企業や団体が組織を挙げて被災地の救援に取り組む姿を見ると、頼もしく感じ、嬉しさがこみ上げてきます。

企業の思惑には、事業継続のための下請けや取引先の支援であったり、復興がマーケット復活に直結することであったり、被災地でのブランド力向上など、自社の業績のためにボランティアに取り組むところもあると思います。

本来、企業人は組織の人間である前に日本人であり、そして一人の人間であるわけです。日本人として、人として、被災地に何ができるかを考える共生の理念がまず先にあり、互いに支えあい共に生きる価値観から人道的行為を行って欲しいとは思いますが、動機は何であれ、実際に行動を起こすことが重要です。
経営者の立場から見れば、被災地の協力企業や顧客を支援することは、業績向上と会社の発展につながり、そしてそれは従業員とその家族を守ることにもなるわけです。必ずしも被災地と被災者の支援が動機の基盤にはないかもしれません。

しかし、とにかく形から入ること、行動を起こすことは大事です。
人が何か物事に取り組む際、それが信条や使命感からではなく別の動機からであったとしても、まず形から入り行動を起こすことで、そこで何かしら気づきがあります。そしてそれを継続していくと行動は習慣化され、次第に健全な心が育まれていくものです。

企業側の動機が何であれ、率先して被災地支援をしてくださることは、嬉しく、頼もしく、大いに歓迎します。


●気仙沼大島に到着

午前9時頃、フェリーで大島に入りました。
大島の港が近づき入港するまでの島の風景には、建物が少なく、「これだけしか人が住んでいないのか?」と思えるほどです。
何も知らず、何も思い巡らすことなくこの情景を見ると、それだけで終わってしまいそうです。しかし目に入る僅かな建物も、高台にある民家以外は全て損壊している状況からは、殆どの家屋や建築物は流され、破壊され、まだ取り壊されていない僅かな建物がこうして残されているのだということを、認識させられます。

島に下りた後は、ボランティアの現場に移動する車中から、建物の基礎だけが残る跡地や基礎もなくなり更地となった多くの土地を確認しました。
港の正面に大きな廃材の山が二つあり、その間で重機が休まず動いています。一つの山は、島中の瓦礫を集め仕分けし木材だけを集約して積み上げたもののようです。もう一つの山は、その木材を重機が飲み込み砕かれた、細かな木片の山です。

島中の更地となっってしまったその上にはたくさんの建物があった。その瓦礫が今は処理され、木材が港に集められ木片の山を築いているのです。

大島の港もやはり沈下しています。一部は海面下に沈んでいます。日本の国土は、今回の震災で沈み込んだ側のプレートの上にあり、そしてこれだけ沈下したという事実を、目の当たりにした瞬間でした。

津波は大島を東と西から襲い、島を二つに分断したそうです(http://bit.ly/oNbRCo)。我々がフェリーから下りた港は分断されたその西側にあたり、ボランティアの場所は東側の浜のすぐ手前あった農地でした。我々が港からボランティアに向かう途中、道路を上りきったところが交差点でしたが、そのあたりが東西からの津波が合流し島が分断された場所だったようです。


●島を去る母子

フェリーが大島の港に到着した際、港の岸壁には小学生とその父兄とみられる集団がありました。どうも島を離れる親子と見送りの人たちのようです。

気仙沼港へと折り返すフェリーに、その中の男児一人と母親が乗り込みました。男児は十数名の子どもたち一人ひとりからの紙テープを握り、母親に肩を抱かれて出航していきました。
フェリーが遠くになるまで、見送りの子どもも親たちもずっと手を振り続けていましたが、もしかして被災のための引っ越し、転校かと思い、涙が止まりません。

見送る子どもたちと親を見てふと思いました。島の人口はいまどれくらいなのか?この十数名の子どもたちはまさかこれで全校生徒なのか?。
ネットから得た情報では、震災前の島民は3200名、数年前の大島小学校の生徒数が199名とありましたが、瓦礫の山と更地になった住宅跡などを見ると、島を出て暮らすご家族もかなりの数と思わずにいられません。


●ボランティア作業


ボランティア作業は農家の手伝いをしました。農地を再生させるための作業です。
他の被災地同様、大島でもこれまでに多くのボランティアが入り既に大量の瓦礫は撤去されていましたが、住宅と民宿のあった場所も農地も、全てが雑草の生い茂る荒れ地になっています。農地の先には海辺近くに積まれた自動車の山が見えます。
海寄りの小高い場所に立つ松の木の高さ5~6mのあたりに、津波で流された別の松の木の幹が1本、竿だけのように横になったまま引っかかっています。

雑草ばかりの荒れ地ではありますが、もう殆ど大きな瓦礫はありません。この半年間、島民も行政もボランティアのみなさんも、大変なエネルギーを使ってここまで来られたことが窺えます。
ライフラインが寸断され、食料などの支援物資も届かなかった震災直後の厳しい寒さでの復旧作業、また猛暑の中での今夏の作業、それらがどんなものであったか、実際にボランティアをして初めて、その厳しさを想像することができました。

我々が手伝いに入った農家は、本宅は残ったものの、津波で全ての戸も窓も損壊し、家中ガラスの破片で足の踏み場もない状況だったそうで、蔵や牛舎は流されて消えてなくなり、農機も全て失ったそうです。
本宅の庭も周辺の土地も農地も全て、津波の塩を被っています。

今回は、塩害にあった野菜も花も全て刈りとり、そして農地を覆う雑草を一掃し、農地から塩と砂を取り払う作業を行いました。
まず草刈り、次に瓦礫撤去と農地の掘り起こしです。

大きな瓦礫はもうありませんが、雑草や砂の中にはまだ、ガラスや金属の破片が隠れています。草刈りと土の掘り起こしの最中に出てくるこれらの瓦礫を集め、所定の場所に廃棄しました。

掘り起こしは最も体力を消耗した作業です。雑草の下には、厚さ30cmほどの砂の層があります。この砂は津波で運ばれてきた海の砂です。
農地の掘り起こしは、この砂を取り除き、砂に覆われ隠れていた田畑の土を戻す作業です。

場所によっては土地が硬く、スコップがなかなか入りません。
スコップが入ると、次は厚さ30cmの砂をすくいます。掘っても掘っても、下の土が出てきたはずなのに、しばらくすると土の表面は砂で覆われてしまいます。なんと表現すれば良いか、土の中から砂が湧きだしてくるような感じです。
その作業を延々と続け、掘り出した砂はカゴに入れて農地の外に運び出します。

この作業を40人ほどのボランティアで手分けして行いました。
昼食時には上着もズボンも汗でびしょ濡れでしたが、腕を曲げると、なんと長袖シャツの肘から汗がポタポタと垂れてくるほどでした。

私は農地での作業は最後まで、スコップでの掘り起こしを専門に担当しました。
砂をカゴで運ぶ作業も、足場が悪い中を重くて大変だったと思いますが、慣れないスコップでの掘り起こしもまた大変で、一日の作業を終えた際にゴム長手袋を外すと、下にはめていた軍手もビショ濡れでしたが、ゴム長手袋からはコップの水をこぼしたのかと勘違いするほどの水(汗?)が溢れてきました。
着ている服は、上から下までずぶ濡れです。

夜、風呂に入る前に体重を量ると2キロ痩せていました。
作業中と作業後、ペットボトルで計2リットルの水を補給しましたから、実質4リットル程の汗をかいたということでしょうか。

当日の天気は幸いなことに曇り空で、気温も30度まではなかったと思います。
私たちと同じ作業をこの夏の猛暑にされたみなさんは、どれほどの体力を消耗されたことか。。。
震災直後の冬の寒さや梅雨空の下、大量の瓦礫を運び撤去された方、ガラス・陶器の破片で怪我をされた方のご苦労は、どんなものだったのか。。。

そのことを思うと、これまでに取り組まれた方々の努力とご苦労のお陰で我々はこの程度の作業で済ませてもらったのだと、申し訳ない気持ちにもなりました。

この日我々が掘り起こした土地はせいぜい、たたみ20畳程度ではないでしょうか。農家1軒の農地を塩害から元に戻すだけでも、気の遠くなるほどの日数がかかりそうです。

大手企業や大学生も含め様々なボランティアの姿が毎日、大島にはあるようですが、気負わず、息長く、坦々とボランティアを継続することが求められているのだと思いました。
気負い無理してやっても、決して長続きするものではない。できる時にできる限りのことを、しかし無理はせずに。まだまだ何年もかかるのですから。 

(続きは次稿にて) m(_ _)m




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2011.3.11 東日本大震災と大津波」カテゴリの記事

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