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2010年1月 6日 (水)

南京大虐殺はなかった?

最初に、前回記事に続いて情報弱者への真実の情報提供の必要性を考えたい。
人はマスコミの報道に対し、関心のある分野はしっかりと頭に入れるが、そうでなければ記事の見出しや音声によるキーフレーズをそれとなく印象に残す程度である。しかしそれも幾度となく繰り返されると同じ活字やキーフレーズがいつの間にやら潜在意識にまで浸透する。
関心ある分野の報道が毎日のように繰り返されれば、より深く洗脳され、関心が薄くとも毎日のように報道されれば、いつの間にか報道された内容が事実だと思い込んでしまう。良質な情報、真実の情報ならばそのようにあってもらいたいが、残念ながら現在の日本では逆の状態が起きている。

マスコミだけではない。ネット上の世界も同様、玉石混淆で情報が飛び交う中、石ばかり拾っているとその石が含まれる分野では情報弱者に陥るとも考えられる。

このことに関連し、小沢一郎を悪役に仕立て上げるマスコミについて「神州の泉」さんへの浮高亭瓢箪氏の投稿 は、全くその通り、私も同感である。
だからこそ、官僚とマスコミに都合のよい世論形成へと誘導される情報弱者に対し、私たちが真実の情報発信に取り組まねばならない。どのような方法があるだろうか? マーケティングにおいてその最高の手段は口コミである故、まずは家族、友人、知人への口コミからだろうか?

また政府も民主党も国民新党も、自ら真実の情報発信をとる手段を生み出し実行すべきだ。政府与党は参議院選で勝利し、そこからマスコミにもメスを入れる算段かも知れないが、その前にどのような世論になっているものか。相手が調査結果まで捏造し世論誘導することまでも想定し、対応しておかねばならない。


さて実はこの度、私が情報弱者として”「南京大虐殺」 の歴史認識を誤っていたかもしれない”ことを、認識した。
自分の不勉強を恥じ入るばかりである。
私はこれまで日本軍による「南京大虐殺」は実際にあったものだと認識していた。ところがそれは誤った認識だったようである。
・・・などと書くと「何をいまさら」「そんなことも知らなかったの?」と思われる読者も多かろう。
しかし、過去の報道により「南京大虐殺」は史実であると刷り込まれた私の意識には、異論反論さまざまなその後の報道に寄せる関心はなかった。
なるほど、情報弱者はこういうものなのだと、そのように思う。

私のような情報弱者が有益な情報を手にすることができたのは「Tokyonotes 東京義塾」さんの記事 によるものであり、Orwell氏には心より感謝申し上げます。
このところ多忙を極め、しばらく他のブログへアクセスするまでの余裕がなかったのだが、久しぶりに「Tokyonotes 東京義塾」さんの記事を読み、驚き、恥ずかしくなり、そして感謝した次第。

過激な右翼の言動には辟易するが、誠実に確実な情報で立証し、論理的に正しい歴史認識を説明されると、これまでの自分の認識が如何に安易な情報を基にしたものであったかが分かり、懺悔するのみである。
つくられた「通説」を「史実」と思いこみ、中道の自分には「右翼の考えは時に過激であり理解しづらい」と、更に外からの情報を遮断していた。


「Tokyonotes 東京義塾」のOrwell氏に、「史実を世界に発信する会」 事務局長の茂木弘道氏から連絡があったそうである。
それは「日中歴史共同研究の報告書概要が発表され、その内容が国家自殺的なものであり、12月29日に北岡座長へ抗議の書簡を送った。これは公開すべき性質のものであり皆さんにお知らせする。」との趣旨だったようだ。

Orwell氏も趣旨に賛同し、それを転載された。
私も賛同し、以下転載させていただく。

中国は鳩山首相に南京訪問を要請した模様 であるが、首相も小沢氏もこの「史実を世界に発信する会」からの抗議の書簡をまず最初に読んでいただきたい。
ということで、首相官邸、小沢一郎氏、亀井静香氏へはこの書簡をメールでお伝えしたく思う。



<以下 抗議の書簡 を転載>

平成21年12月29日

日中歴史共同研究委員会
座長 東京大学教授
北岡 伸一 殿  

抗議の書簡

 このほど貴殿が日中歴史共同委員会日本側座長を務める共同研究の最終報告の内容が明らかにされました。
 日中戦争全般にわたり、疑問だらけの内容であると考えるものですが、今回は「南京事件」に絞ってその問題点を述べ、かような研究報告を出すことにした日本側委員、その代表である貴殿に対し厳重な抗議を行う次第です。
 「南京で大規模な虐殺があり、日本側にその責任がる」と貴殿らは認めたということですが、いったいどのような学問的な根拠があって、そのようなことが言えるのか、貴殿の学者としての良心を疑う者です。確かに、東京裁判でそのように断定され、また現在の日本の歴史学界の主流もそのような見解であります。しかし、その後南京事件についての研究は急速に進み、今やそのような俗説は全く成り立ちえなくなっていることを貴殿はご存じないのですか。
 一つの決定的な資料と言うべきものが、平成15年に東中野教授によって台北の国民党党史館で発見されました。極秘印の押された『中央宣伝部国際宣伝処工作概要 1938年~1941年』です。内部向けの極秘資料ですから、宣伝目的の歪曲はほとんどないと考えられます。そこには、国際宣伝処が、南京戦を挟む約1年間(1937年12月1日~38年10月24日)の間に漢口において、外国人記者を招いて300回の記者会見を開いたことが書かれています。参加記者は平均50名であったことも記されています。ところが、日本非難のためのこの記者会見において、ただの一度も南京で市民虐殺があっただとか、捕虜の殺害があっただとかが発表されていないのです。さらに、この文書には南京での日本軍の暴行・略奪などの悪行批判は書かれているものの、虐殺とは全く書いてないのです。
 これが決め手ではありますが、他にもそれを裏付ける資料が確認されていま
す。
 その中心的なものとしては、安全区国際委員会の活動記録である、Documents of the Nanking Safety Zone があります。南京市民に最も近いところで、その活動を行っていた反日色の濃い外国人たちの英文記録で、1939年に国民党の外郭機関の監修の下、上海のイギリス系の出版社 Kelly & Walsh社から出版されました。そこに南京の人口は11月末20万が、12月中ずっと20万、陥落(12月13日)から1ヶ月後の1月14日には25万人と記録されているのです。大量虐殺はおろか、100人単位の虐殺も全くうかがうことができないのが、この記録です。当時日本軍とともに100名を超える記者・カメラマン等が南京に入ったのに、誰も虐殺など見た者がいないという事実と完全に符合します。
 すなわち、南京事件については既に決着が実質的についているのです。
 こうした背景の下、「南京事件の真実を検証する会」(会長:加瀬英明、事務局長:藤岡信勝)は、昨年5月に胡錦涛主席が来日した折に、公開質問状を提出しました。(中文を提出しましたが、日英文も含め同封します。)ここに提起された5カ条で、南京問題の骨子は尽きているかと思います。そして、今に至るも胡主席からの返答はありません。答えられるはずがありません。まともな人間常識をもってすれば、これに回答することはまず不可能でしょう。「史実を世界に発信する会」の英文サイトにこれは掲載されておりまして、これを見たアメリカの学者から、Holocaust Denier ではないか、という投書がありましたの
で、Denier は毛沢東であり、国民党だ。それよりあなたは、この質問に胡錦涛に代わって答えられますか、と反論したところ、全く答えにならない答えを言ってきました。日本側の資料だから、などとバカなことを言ってきましたが、御覧の通り5点中の4点は外国資料に基づくものです。
 海外から公開質問状についての反響が来つつありまして、Asianists’ Asia という小さなジャーナルから、これについてもう少し解説を書いてほしい、という依頼があり、私が書いたものが同封の Why PRC President Cannot Respond to Open Questions Concerning the Nanking “Massacre” です。
 すなわち、歴史認識にかかわる重大問題について、古色蒼然たる学会の「誤った」通説をうのみにして、日本側の見解を出すなどということは、学者としての良心にもとる行為ではありませんか。最新の資料と研究成果を十分に取り入れた見解を出すのが、国を代表する学者としての務めではないかと考えますが、如何でしょうか。
 今回のこの報告書作成について、厳重な抗議と何らかの善後処置を要求するものです。
 私の個人的な書簡でありますが、内容は貴殿の個人的なことに関するものではありませんので、公開させていただくつもりですのでご承知おきください。

敬具

「史実を世界に発信する会」事務局長 茂木 弘道 拝

<添付>(下記以外に書簡には、中文、英文のも及び、Asianists' Asia 誌への国論文のぴピーも添付>


胡錦濤国家主席閣下への公開質問状

このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。

さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものです。貴国のこの事件に対する見解とその取り扱いにつき、深刻な憂慮を感じております。昨年南京屠殺記念館が大規模に拡張改装されましたが、一方で友好を唱えながらこのような非友好的なことを平然と行なう貴国に対して強い不信の念を感じざるを得ません。そもそも南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります。以下重要な5つのポイントについて閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。

一、故毛沢東党主席は生涯にただの一度も「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に  延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民  虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?

二、南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?

三、南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録がDocuments of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?

四、さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?

五、南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の屠殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究  (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など)によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているので  したら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。

以上述べました5つの点は南京で大虐殺があったなどということを根本的に否定しているものとわれわれは考えざるを得ません。上記5つの点につきまして、閣下のご見解を承ることができれば幸いです。この問題は多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。

平成20年5月○○日

南京事件の真実を検証する会委員一同

(会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)冨沢繁信 茂木弘道 (委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 高池勝彦 高山正之 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘

<転載 ここまで>



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コメント

2016.5.1 07:27
【歴史戦 南京が顕彰した男(上)】南京記念館が賛美する元朝日記者 “大虐殺”の宣伝に貢献「小日本にもスゴい記者が…尊敬するよ」
本多勝一氏

 「小日本(日本人に対する蔑称)の中にもスゴい記者がいたんだね。尊敬するよ」

 中国・江蘇省南京の「南京大虐殺記念館」。展示の後半にある「南京大虐殺史学研究及(およ)びその影響」というコーナーに掲げられたある男性の写真や著作に見入っていた50代の女性が、複数の同行者に大声で話しかけた。団体旅行とおぼしき年配の集団で、おそろいのピンクの帽子には浙江省寧波の地名が読み取れた。

 1997年に『ザ・レイプ・オブ・南京』を著した中国系米国人アイリス・チャンの紹介の左隣に大きなサングラスをかけ、素顔を隠した人物の写真が並ぶ。男性は元朝日新聞記者、本多勝一。「大虐殺」を世界に周知するうえで大きな貢献をした数人の日本人のひとりとして本多は顕彰されているのだ。

■   ■

 館内の展示は大半が中国語と英語のほか、日本語の説明も記されている。顔写真の真下に展示されていた本多の著書。ガラスケースの中には『南京への道』『裁かれた南京大虐殺』『中国の日本軍』など5冊が並べられていた。

 のぞき込んだ60代の男性は「日本人が研究した南京大虐殺の真相の本なんだから、なんで日本人全員が読んで謝罪しないんだ?」と、横にいた女性に向かって話した。

 本多が取材で使ったというフィルム式の小型カメラ2台と、使い捨てのノック式ボールペン1本が仰々しく飾られていた。証言を丹念に集めた取材で「真相」を本多が突き止めて告発した、とアピールしたかったようだ。

 団体旅行の男女に話しかけたい衝動に一瞬かられたが、4年前に記念館で取材していた共同通信の男性記者が「おまえは日本人か」などと叫んだ中年の中国人の男から首を絞め上げられ、別の男からも殴る蹴るの暴行を受けた事件が頭をよぎった。

 このため展示の前でしばらく黙って観察していたが本多の存在を事前に知っていたと思われる中国人は見当たらなかった。参観者の多くは展示をみて、初めて「本多勝一」の名を知り、その上で「朝日新聞」に好印象を抱いたようだった。

 同じコーナーには、旧日本軍人としての南京での経験から「南京大虐殺」を告発したという著書『わが南京プラトーン 一召集兵の体験した南京大虐殺』を昭和62年に出版した東(あずま)史郎の顔写真のほかに、「中日友好」と東が書いた色紙も飾られていた。日本では日中両国について記す場合、「日中」と表現するのが通例だが、東はあえて「中日」と中国を先にした。

 東は元上官から名誉毀損(きそん)で提訴され、東京地裁で「残虐行為を裏付ける客観的証拠はない」として損害賠償を命じられたが、控訴した。平成12年1月には最高裁で敗訴が確定している。記念館の展示ではそうした事実にはなんら触れず、本多やアイリス・チャンと並ぶ尊敬すべき人物としてスポットライトを浴びていた。

■   ■

 記念館であえて日本人の名前を出し、写真や物品まで展示して中国人にシンパシーを感じさせようとする狙いについて、南京のある歴史研究家は、「『少数の日本軍国主義者と大多数の日本人民を厳格に区分せよ』という毛沢東の対日政策『二分法』が南京でも生きている」と語る。

 二分法は「共通の敵を打倒するため連帯できる諸勢力と共闘する」との毛の理論。日本人全員を敵に回すことは中国にとっても得策ではないという。

 記念館は熊本地震に対し、4月15日にインターネット上で「友人のみなさんご無事ですか?」とする異例の見舞いメッセージを発表した。中国語のただし書きで、「熊本出身者を中心に編成された日本陸軍の師団が南京大虐殺の元凶だったが、熊本県日中友好協会の関係者が20年以上も記念館を訪れ、犠牲者を悼んでいる事実がある」などと説明した。善意に基づくメッセージと思いたいが、本多らを展示でたたえた手法に近い印象も残った。

 「愛国教育基地」として、地元や周辺地域の小中学校の児童や生徒の必須の参観場所となっている記念館。中国の主張に同調する発言を行う日本人や関係者のみを“味方”と位置づけて、それ以外を敵視するという「二分法」を実践するほか、日本国内の世論を分断させることも対日工作の基本だと植え付けようとしているようにみえる。

根拠なき「30万人殺害」 南京での取材「2日間で4人」

 「南京大虐殺記念館」で顕彰されている元朝日新聞記者、本多勝一はカナダ北極圏の先住民に密着取材したルポルタージュなどで評価を高め、かつて「『朝日』のエース」(「週刊新潮」昭和46年9月25日号)ともてはやされたジャーナリズム界の“寵児(ちょうじ)”だった。

 その本多と「南京」のかかわりは46年、朝日新聞夕刊での連載記事に始まる。タイトルは「中国の旅」。この年6月から7月にかけ約40日間、本多が中国各地を回った際の取材ルポだ。

 連載は8月から12月まで全40回に及び、旧日本軍兵士らが中国各地で行ったという生々しい「残虐行為」を毎回のように克明に伝えた。

 「強制連行に反対した労働者が、その場で腹をたち割られ、心臓と肝臓を抜きとられた。日本兵はあとで煮て食ったという」

 「日本兵は、赤ん坊を母親の手からむしりとると、その面前で地面に力いっぱいたたきつけた。末子は声も出ずに即死した」

 これらは、本多が中国で取材した「生き証人」らが語った内容だった。にわかには信じがたい「蛮行」の数々は、当時の日本社会に大きな衝撃を与えた。

 反発も大きく、一連の記事は、旧日本軍関係者らが否定したり、多数の疑義が呈されたりした。朝日に対しては「ごうごうたる非難の投書が東京本社に殺到した」(朝日新聞社史大正・昭和戦前編)といい、論壇では「中国の旅」が報じた「南京大虐殺」などをめぐって論争が巻き起こる。

■   ■

 「日本軍は長江に近い二つの門も突破して、南京城外へくりだした。(中略)南京城北七キロの燕子磯では十万人に及ぶ住民を川辺の砂原に追出しておいて、機関銃で皆殺しにした。(中略)南京城内も合わせて約二十万人が殺されたとみられている」(46年11月5日朝日夕刊)

 これは9歳のころ、「南京大虐殺」を体験したという南京港務局内河船員の姜根福(連載当時43歳)が、本多に語った12年12月の南京陥落後の状況だ。

 「中国の旅」第3部は「『南京大虐殺』の被害者たち」の証言を10回にわたり伝えた。46年7月、空路南京入りした本多が、「二日間に四人から取材した」内容だ。

 四人のうちの一人、姜の話を基に本多は「紫金山でも二千人が生埋めにされている。こうした歴史上まれに見る惨劇が翌年二月上旬まで二カ月ほどつづけられ、約三十万人が殺された」(46年11月5日)とも伝えた。

 広島、長崎への原爆投下による合計犠牲者(推定)に匹敵する20万人や、「南京大虐殺記念館」の入り口に大書されている30万人が犠牲者数としてさらりと登場する。だが、姜は何ら根拠は示していない。

 一方、12年12月の南京攻略戦時、取材団80人あまりを現地に送り込んだ朝日新聞は、本多の記事とは全く異なる情景を報じている。

 「中山路の本社臨時支局にゐても、もう銃声も砲声も聞えない。(中略)もう全く戦争を忘れて平常な南京に居るやうな錯覚を起す。住民は一人も居ないと聞いた南京市内には尚十万の避難民が残留する。ここにも又南京が息を吹返して居る」(「東京朝日新聞」12年12月16日)

 連載当時、南京攻略戦に参加した元兵士や従軍取材した朝日新聞記者が多数存命していた。にもかかわらず、本多が日本側の証人に、裏取り取材をした形跡は見られない。

 「南京事件」をめぐるプロパガンダ(政治宣伝)を研究している明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次はこう指摘する。

 「彼のルポルタージュは中国の“御用聞き”よろしく、史実に対する一切の検証も批判も度外視し、中国側の言い分を朝日新聞を通じて、一方的に垂れ流すものにすぎない」

■   ■

 「歴史戦」取材班は4月、本多が編集委員を務める週刊金曜日編集部を通じ、「中国の旅」第3部で取り上げた中国人の証言や証言に基づいて報じた内容がすべて「歴史的事実であると考えるか」と質問した。同編集部によると、本多からは「『産経新聞』の取材・報道姿勢等にこれまで多くの疑義を抱いているため、回答は差し控えたい」という趣旨の連絡があったという。

 取材班は朝日新聞広報部にも「中国の旅」に関して「事実と異なる部分」について今後紙面で訂正や取り消しをする予定はあるか質問した。広報部は「古い話であり、現時点では回答できることはありません」としている。(敬称略)

 中国が「南京大虐殺」を広めるうえで大きな役割を果たした本多勝一。「歴史戦」第16部では、本多の記事が与えた影響について検証する。(敬称略)
http://www.sankei.com/premium/news/160501/prm1605010031-n1.html


2016.5.2 13:00
【歴史戦 南京が顕彰した男(中)】なぜ中国は「南京大虐殺」を記憶遺産に登録しながら証拠開示を拒むのか? 「中国の旅」の影響なお
中学校教科書検定結果が公開され、戦後問題について記載された教科書 =東京・霞が関(大西正純撮影)

 ■「朝日記者著書は必読の教材」

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)は昨年10月、中国提出の「南京大虐殺文書」を記憶遺産に登録した。「大虐殺」を示す文書や写真などで構成されているとされるが詳細は明らかになっていない。中国が公開を拒んでいるためだ。

 外務省の国際文化交流審議官、下川眞樹太は4月28日、自民党の部会で中国側が「技術的な問題」を理由に、登録資料の大半の閲覧を拒んでいると説明した。登録資料は中国国内の公文書館などに保存されている。外務省が一部施設で資料を確認した後、2月に検証を進めようとしたところ、態度を急変させたという。このため、日本政府はいまだ登録資料の真贋(しんがん)性を検証できていない。

 出席議員からは「都合が悪いから見せないのではないか」との意見も出た。“証拠”であるはずの資料を中国がひた隠しにする「南京大虐殺」だが、今の日本の教科書には「事実」として掲載されている。

                ■   ■

 「日本軍は12月、南京を占領しました。このとき、国際法に反して大量の捕虜を殺害し、老人・女性・子どもをふくむ多数の市民を暴行・殺害しました(南京事件)」

 今年度から筑波大付属駒場中や灘中など最難関校を含め、30以上の国立、私立中で使用される「学び舎」(東京)の中学校用歴史教科書の記述だ。

 東京書籍の中学歴史教科書も「女性や子どもなど一般の人々や捕虜をふくむ多数の中国人を殺害しました(南京事件)」と記載し、「『南京大虐殺』とも呼ばれます」と注釈を付けた。

 「南京事件」は戦後、一貫して歴史教科書に記載され続けてきたわけではない。東京書籍の中学歴史教科書の場合、昭和53年度用(52年検定済み)から「南京虐殺」の文字が登場した。

 犠牲者数はこの時点では「おびただしい数」とあったが、その後、「20万以上ともいわれる」「中国では(中略)30万以上とみている」(59年度用)と記されるようになる。

 「南京事件が初めて教科書に登場したのは、昭和49年度の中学校の検定の際であった」

 「以後、他社の教科書にも同様の記述が見えるようになり、次いで高等学校の日本史教科書にも及ぶようになっていった」

 文部省(現文部科学省)で教科書調査官を務めた時野谷滋は自著でこう述懐している。49年は元朝日新聞記者、本多勝一による「中国の旅」の連載の3年後、ベストセラーとなった単行本出版の2年後に当たる。

 歴史教科書における南京事件の記述を調べた明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次は解説する。

 「教科書の執筆から検定までに通常1、2年かかることからすると、49年に突如、南京事件が教科書に登場したのは、朝日新聞が連載した『中国の旅』の影響なしには考えられない」

                ■   ■

 もっと明確な形で「中国の旅」の影響を受けたのは、教科書に合わせた教師用指導書だった。例えば実教出版の教科書「高校日本史」用の指導書(61年検定済み教科書用)は、本多の著作をこう強く推薦する。

 「中国での日本軍の残虐行為は本多勝一著『中国の旅』『中国の日本軍』が必読文献。とくに後者の写真は良い教材となる」

 『中国の日本軍』とは『中国の旅』の姉妹編で旧日本軍による「残虐行為」とした写真を多数、掲載している。腹部が裂け内臓が見える女性の遺体や焼け焦げた遺体など思わず目を背けたくなる写真ばかりだが、そこにも中国のプロパガンダ(政治宣伝)の影響が色濃くうかがえる。

                  ◇

 ■兵士が保護→婦女子狩り/鶏を購入→略奪…中国が朝日写真悪用しうのみ

 元朝日新聞記者、本多勝一の著書『中国の日本軍』(昭和47年)には、小銃を肩に担いだ軍服姿の男性らとともに、橋を渡る女性や子供たちの一群の写真が掲載されている。説明文はこう断言している。

 「婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵たち。強姦(ごうかん)や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ」

 だが、この写真は12年11月発行の「アサヒグラフ」が掲載した「我が兵士に護られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群」であることが後に判明した。

 鶏2羽を肩から提げて笑顔を見せる日本兵の写真も同様だ。説明文には「ヤギや鶏などの家畜は、すべて戦利品として略奪された」とある。

 これももとは12年12月5日発行の「支那事変画報」(週刊朝日・アサヒグラフ臨時増刊)の掲載写真で実際は代価を払って鶏を購入していた。

                ■   ■

 2枚の写真には共通項がある。ともに1938(昭和13)年に中国で発行された『日寇暴行実録』に収録されていることだ。

 『日寇-』は日本軍がいかに凶悪かを内外にアピールするため、蒋介石がトップの国民政府軍事委員会がまとめた戦時プロパガンダ(政治宣伝)本である。

 2枚の写真は日本の雑誌から無断使用され、『日寇-』に転載された段階で、キャプションが捏造(ねつぞう)された。『中国の旅』も『日寇-』が使用したのと同じ写真を多数、掲載している。

 このようなずさんで誤った内容であったにもかかわらず、教師用指導書で強く推薦されたことから、本多の著書を使用した教員も少なくなかったとみられる。中国の戦時プロパガンダは朝日新聞を介して日本に広まり、青少年の教育現場に浸透していった。

                ■   ■

 三省堂発行の高校日本史の教師用指導書(平成元年3月初版)は「追加史料 南京大虐殺の証言」として、本多の『中国の旅』から機関銃による住民10万人の殺害などを語った姜根福の証言などを引用している。「解説」欄では、「(旧日本軍の)2人の将校の間で、どちらが先に中国人を100人殺せるかという殺人競争」と書き、いわゆる「百人斬り」を「史実」として紹介した。

 本多は姜が語った話としてこう報じていた。

 「AとBの二人の少尉に対して、ある日上官が殺人ゲームをけしかけた。南京郊外の句容から湯山までの約十キロの間に、百人の中国人を先に殺した方に賞を出そう……」

 「結果はAが八十九人、Bが七十八人にとどまった。湯山に着いた上官は、再び命令した。湯山から紫金山までの約十五キロの間に、もう一度百人を殺せ、と」

 姜自身も示唆しているがこれは戦時中に東京日日新聞(毎日新聞の前身)が報じた記事を基にしている。東京日日で2人の少尉の撮影に携わった元カメラマン自身が「あり得ない話だ」と否定している話である。

 毎日新聞自体も元年に発行した「昭和史全記録」で、「この記事の百人斬りは事実無根だった」とかつての自社報道を否定するなど、戦意高揚のための創作記事だったことが通説になっている。

 ところが、「中国の旅」の影響で、この虚構が学校の教室では「歴史的事実」とされてきた。最近では24年に富山県で行われた日教組の教育研究全国集会で、百人斬りを題材にしたこんな「平和学習」の教育実践が報告されている。

 「日本は中国に攻め入って、たくさんの中国人を殺しました」

 「戦争になったら、相手国の人をたくさん殺せば殺すほど勲章がもらえてたたえられるんです」

 百人斬りの新聞記事や写真を用いた授業を受けた生徒らは、「中国人は日本からされたことを許せないと思う」「つらい過去と向き合い、立ち向かうことが償いだと思う」などの感想を述べていた。

 朝日新聞が26年に設置した慰安婦報道検証のための第三者委員会では、慰安婦狩りを偽証した吉田清治に関する報道と類似したケースとして、百人斬りがこう取り上げられている。

 「戦争中の兵士が、勝手に行動できるのか、『審判』のいないゲームが可能なのか、少し考えれば疑わしい話なのに、そのまま報道され、相当広く信じられてしまった」

 朝日報道を「事実」と認識して引きずられ、ゆがんだ歴史観を教えた教師も、教えられた生徒も被害者だといえないか。(敬称略)
http://www.sankei.com/politics/news/160502/plt1605020007-n1.html


2016.5.4 09:53
【歴史戦 南京が顕彰した男(下)】朝日記事「万人坑」はなかった…「中国の主張を代弁しただけ」 虚偽拡大 慰安婦問題と同根

 昭和史を研究してきた田辺敏雄は「中国の旅」を執筆した元朝日新聞記者、本多勝一とその連載記事を単行本、文庫本として刊行した朝日新聞社に憤る一人だ。

 「朝日新聞は数多くあったはずの抗議や反論を軽んじ、『中国の旅』に実名で書かれた人々の名誉を傷つけ、日本人に大虐殺のぬれぎぬを着せた」

 田辺がここで言う「大虐殺」とは南京事件のことではない。本多が連載の前半で大きく取り上げた「万人坑」のことを指す。本多は昭和46年6月下旬から7月はじめにかけて中国東北地方で取材した内容を4部構成の連載の前半で報告した。「万人坑」は第2部のタイトルとなっている。

 「万人坑とは、虐殺された中国人の死体を集めて、何千人、あるいは万単位で埋めた巨大な『ヒト捨て場』である」(46年9月13日付朝日夕刊)

 「中国の、とくに東北地方には、鉱山や大工事現場に、必ず万人坑ができました。何千人、何万人という中国人の死体の丘です」(同10月6日付夕刊)

 戦時中、旧満州の日本企業の鉱山や大規模工事現場では過酷な労働で「使い殺され」た中国人労働者の遺体や「消耗して動けなく」なった労働者を生きたまま、万単位で埋める「ヒト捨て場」が「必ず」あり、それが「万人坑」だと本多は伝えたのだ。

■  ■

 連載では、南満州鉄道株式会社が経営していた撫順炭坑(遼寧省撫順)と南満州鉱業株式会社(南満鉱業)のマグネサイト鉱山(同省大石橋)が取り上げられた。「万人坑」は撫順に30カ所以上、大石橋には3カ所と報告されている。本多はこう解説する。

 「仮に一日平均二十人が“消耗”されるとしよう。百日で二千人、一年間で七千三百人に達する。『万人坑』という言葉のように、ひとつの万人坑を一万人とすれば、この大石橋にある三つの万人坑(三万人)ができるまでに、ほぼ四年あればよい」(同10月11日付夕刊)

 大石橋の「万人坑」の一つ「虎石溝万人坑」。現地で「階級闘争を決して忘れるな」と正面に書かれた入り口を通過し、白骨死体の「厚い層」を見た本多は、感想をこう書き記した。

 「私はまだ、ナチがやったアウシュビッツ殺人工場の現場を見たことはない。だからこの万人坑のような恐ろしい光景は、生涯で初めてだった」

 白骨死体の写真も朝日の紙面に掲載された。

■  ■

 「万人坑」に強い疑問を抱いた田辺は調査を始めた。旧撫順炭坑、旧南満鉱業の関係者らにアンケートを送付。回答した約60人と面会するなどしたところ、全調査対象者が次のように答えた。

 「万人坑を見たことがない」「万人坑という言葉も知らなかった」

 田辺は平成2年、雑誌「正論」(8月号)で「万人坑はなかった」とする調査結果を発表した。これに本多は「少数のアンケートで断定するのはおかしい」と反論した。

 双方の主張の食い違いを受け、旧撫順炭坑関係者らでつくる東京撫順会は約1000人の全会員にアンケートを送付した。469人から得た回答を精査し、同会は「強制労働による犠牲者の“人捨て場”としての万人坑がなかったことははっきりした」と結論づけた。

 旧南満鉱業の幹部らは連載当時に朝日に「万人坑は事実無根だ」と記事取り消しを求めていた。だが、「門前払い」だったという。

 本多にも撫順炭坑で電気技師をしていた久野健太郎が手紙を送って抗議した。本多は昭和61年3月、久野にこんな返信を寄せた。

 「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば、中国側に直接やっていただけませんでしょうか」

 連載当時は多くの人が存命だったはずだが、本多や朝日が日本側関係者を取材した形跡は見当たらない。

■  ■

 田辺の問題提起をきっかけに「万人坑」は改めて関心を集める。元朝日新聞記者、本多勝一による「中国の旅」連載から約20年後のことだった。中国人労働者を使い捨て、死なせたとの汚名を着せられた当時の関係者らも再び動き出した。

 平成3年4月、東京撫順会は朝日新聞に記事の取り消しを申し入れた。

 「万人坑は作り話、あるいは著しく事実と相違したものを、事実であるかのように記述してある」

 「本多記者は『中国側の言うのをそのまま代弁しただけ』ともいうが、このまま放置すれば、作り話などが『歴史的事実』として確定してしまう」

 すでに『大百科事典』(平凡社、昭和60年版)のように本多の「中国の旅」に依拠して「万人坑」を記載した事典が現れていた。

■  ■

 南満鉱業社友会も続いた。平成3年4月、本多の記事は「とんでもない虚報」「事実であるがごとき報道をされたままでは、同僚に対して、また国民に対し申し訳がたたない」として、朝日に「万人坑」報道の関連部分の削除や単行本、文庫本『中国の旅』の廃刊、回収を求めた。

 朝日は要求には応じず、3年6月、読者広報室長名で両団体に書面でそれぞれこんな回答を寄せた。

 「万人坑については、本多を含め私どもといたしましても、さらに調査を進める必要があると以前から考えています。(中略)この際、東京撫順会の方とも共同で調査出来れば幸いと存じます」(東京撫順会に)

 「本多は『万人坑』など当時の聞き書きについて、こんどは『旅』ではなく、改めて精密な現地取材をすることを考えております」(南満鉱業社友会に)

 産経新聞は朝日新聞広報部と本多に対し、その後、取材したかただした。本多は回答しなかった。朝日は「古い話であり、現時点では回答できることはありません」とした。

 裏付け取材もないまま一方の主張のみを報じ、反論に対しては真摯(しんし)に向き合おうとしない。韓国・済州島で女性狩りをしたという吉田清治の虚偽証言の関連記事をはじめとする慰安婦報道では、こうした朝日の姿勢が厳しく批判された。数々の疑問や反証から耳目をそらし、長年非を認めずに虚偽を広め続けたからだ。

 吉田の虚偽証言について、いまでは政府さえも「朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、日本と韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた」との見解を示すようになった。

 本多と同世代の元朝日新聞記者でジャーナリストの長谷川●(熈のノを取り、巳が己)はこう慨嘆する。

 「批判や反論を踏まえず、日本側関係者の取材もしないのは新聞ではない。単なるアジビラだ。慰安婦問題での病理は、前段階として『中国の旅』の連載時にすでにあった」

 昭和46年10月6日付の朝日夕刊に掲載された「中国の旅」第2部「万人坑」の初回記事。本多は第1部の連載に非難や疑問が寄せられたことを紹介した上で「代表的な疑問に、まず答えたいと思います。まず、『今さら、あんなことを掘りかえすなんて』という場合の『今さら』について」と切り出した。

 「『今さら』と、この問題にふれまいとする態度は、日本を見つめるアジア諸国に、不信と警戒の色をますます強めさせるだけでなく、『今さら』と考えること自身がみずからの目をおおって、今こそやるべき問題をやらずに逃げていることの現れかもしれません」

 今回、40年以上前の連載に対する産経新聞の問題提起に本多や朝日はあるいは「今さら」と思ったかもしれない。だが、「中国の旅」によってゆがめられた歴史の再検証は、朝日が慰安婦問題をめぐる過去の虚偽報道をようやく認めた「今こそやるべき問題」ではないか。(敬称略)

 この企画は阿比留瑠比、有元隆志、河崎真澄、田北真樹子、田中一世、原川貴郎が担当しました。
http://www.sankei.com/premium/news/160504/prm1605040031-n1.html

投稿: 南京が顕彰した男・本多勝一 | 2016年5月 4日 (水) 22時56分

p 様

コメントいただき、ありがとうございました。
ご批判、甘受いたします。

よろしければ、本稿に寄せられた他のコメントもお読み下さい。

投稿: 利他不動 | 2010年5月28日 (金) 23時34分

>「自分の不勉強を恥じ入るばかりである。」
>「なるほど、情報弱者はこういうものなのだと、そのように思う。」

いったいどれだけの資料を当たって、どれだけの書籍を読んで、どれだけの情報を集めた上でこのような言葉を書かれているのか。
ネット上で見かけた断片的な情報を鵜呑みにしてしまうこういった姿勢こそが、情報弱者と呼ぶにふさわしいと、失礼ながら感じました。

投稿: p | 2010年5月12日 (水) 19時39分

なぜだろう様

情報をありがとうございました。
お知らせいただいたURLにアクセスしてみました。
参考になりました。

投稿: 利他不動 | 2010年3月29日 (月) 21時32分

WiLLは、馬英九政権を批判しないのか?

http://web-will.jp/

 WiLL 2010年05月号
  ■古荘光一
  いまさらの「日中歴史共同研究」
  南京大虐殺なんてない


これには紹介石の陰謀だと書いてあったが
台湾の教科書には
南京大虐殺の記述が書いてあることを、
WiLLは、批判しないのだろうか?
国民党の馬英九政権を、なぜ批判しないのか?

http://www.harikonotora.net/history/read/102/50/
> 太平洋戦争と南京大虐殺の真相
> 49 ー50
> "翰林出版にも南京の記述が載せられています。"

>  2007年2月ごろ
>  台湾の教科書会社のうち、翰林出版社では
>  高級中学(高校)の歴史教科書に
>  「南京大虐殺」の記述がなく、
>  それが北一女子高級中学で採用されていたと
>  話題になっていましたが、
>  実際には、巻末の附録の年表に南京大虐殺について
>  書いてありました。

投稿: なぜだろう | 2010年3月28日 (日) 19時43分

そもそも、中国人は自分の安全に極めて敏感な人達です。
その中国人が「同胞を虐殺した日本軍の占拠する南京」に移住するだろうか?
それに当時の南京は東京の世田谷区程度の面積しかない。にもかかわらず昭和12年末から翌13年初頭にかけての南京は、出所および目的のはっきりしている写真からみれば、他国の軍隊に占領されてはいるものの市民生活はおおむね平穏、ということが読み取れる。
例えば用賀で虐殺事件が起こっているのに二子玉川でニコニコお買いもの、という事態は極めて不自然であり、考えにくいことこの上ないし、同様の状況で三軒茶屋に移住してくる、という事態も同様に考えにくい。

だからいわゆる「南京大虐殺」は「なかった」と考えるのが妥当と思われる次第。

投稿: ろくぶんぎ | 2010年3月 5日 (金) 17時53分

かっちょ君と呼びかける匿名のあなたは
もしや、びっくりモグラさん!??


もう来ないからと言い残して行かれてからも、
「情報弱者」の一言が心に刺さっていたのですね!?
どうも一ヶ月以上に渡って、不快な思いを持続させてしまったようで、失礼しました、申し訳なかったですm(__)m

「南京大虐殺があった」ということを、
あなたが立証できないのと同様、
私にも「なかった」という証明は、残念ながらできかねます!!
よって、あなたを「情報弱者」だと決め付けたようなコメントを付けたことについては謝罪いたします。
ちょっと言い過ぎたと反省しています。


私は、過去に聞いたり読んだりした情報から
大虐殺と呼べるような蛮行を、日本軍はしていないだろう!
と、思っていました。(残念ながら、詳細は不明で明示できませんが)
そもそも私は、旧日本軍は欧米の軍隊とはとは違って
侵略や略奪のためだけに戦争に及んだとは考えていないので!!

こんな風に書くと、軍国主義を肯定するのか?
と、その筋の方々からは非難されそうですが、
決して日本軍礼賛!ではありません。
戦前の日本を全面否定する「自虐史観」に疑念を抱いているだけです。

そこへ利他不動さんの記事を読んで
「そらそうだ!虐殺なんて中共が国内統治のための作り話さ!」
と、共感したまでのこと。
ただそこで、あなたを「情報弱者」と決め付けたことは勇み足でしたね!?

虐殺の有無について今さら議論をするつもりもありません。
徒労とお付き合いする時間は惜しいので・・・
あなたがあったと信じられようが、それぞれの問題なので構いません。

でももし、本当に「南京大虐殺」が事実として実在したのなら、
当然ながら「東京裁判」で大々的に取り上げられたはず・・・ですよね!?
それとも、そんな大事件が中共混乱の中で放置されていたとでも???
私は、メディアの報道や中共の政治的な背景について考えたら、
「南京大虐殺」話は、鬼畜日帝を悪玉に仕立てて多民族国家をまとめようと意図した
対日バッシングのための作り話だとしか考えられなかった!というだけです。


人類の偉業と賞賛された「アポロの月面着陸」が「嘘八百」だったり、
「ケネディ暗殺」や「911テロ」が「CIAの自作自演」なんて話と同様、
しょせん歴史なんてのは、勝者が語る話なので、
真実であるかどうかはさほど重要ではないのかも?

まあまあこんなことでご理解が得られるかどうか!?
は、まったく自信もありませんが、
とりあえずのおわびとさせていただきます。

投稿: かっちょ | 2010年2月28日 (日) 13時03分

追伸。                                                     答えは求めません。もうこの欄については投稿しませんし、覗くこともありません。

ただ、人間の思考法がいかにいい加減であるかについて勉強させていただきました。
 「江藤淳」については、文学面と政治的な発言についての自身の解釈があるのですが、何を言っても面白い回答が出てくるとは思えません。徒労、と付き合う時間は残されてていませんので、どうぞ「言論の自由」を思いっきり満喫してがんばってください。

開高健と大江を最後にして文芸の時代はどうやら終わったようです。面白いのは村上春樹ぐらいですかね。

投稿: びっくりモグラ | 2010年1月23日 (土) 22時02分

利他不動様

まことに失礼ながら、あなたのご意見を拝読した後味を一言で要約すれば「慇懃無礼」ということになります。
 反省の弁、という「謙虚」さをちりばめさせながら、「内容的」にことごとく僕の疑義提示を拒絶し、持論の正当性を繰り返している、様に思われました。
持論の正当性、が当該の「史実」について、予断をでき得る限り排除し、科学的な方法に依拠するという原則を保持していれば、たとえ極論であっても、第三者にはそれなりの説得力を及ぼすものですが、残念ながらそのような回答ではなかったようです。
 自己の価値観を排除しつつ、多様な資料を矛盾なく整合的にまとめあげる史家は少ない、というのが僕の感想ですが、とりわけ今回問題となっている加瀬氏の公開質問状は、むしろ自己の価値観(動機)を最も大切にしながら資料を収集・解釈している点で、大きな疑問符をぶつけざるを得ない。
 「中央宣伝部国際宣伝処工作概要1938~1941)を信頼に足りうる資料としてあげていますが、例えば漢口でのtimperleyの蒋介石インタビューを時系列的に整理しただけでもこの「工作概要)を100%信頼する根拠が薄くなるわけで、その他数多くの主張のほとんどが、「自己の価値観に合わせた歴史解釈」にすぎないことが読み取れるように思います。
 当時、日本と敵対していた側のトップシークレットだから信頼に足る、といわれますが、国家間において「昨日の敵は今日の友」になった場合、「今日の友」に有利な情報をメインに流し続けることは、世界史を少し勉強すれば簡単に理解できるように思われますが…。

 ナチスのホロコーストが史実上「無かった」という信じがたい説をまともに唱える人々が増えつつありますが、「南京大虐殺」が無かった、という無理無体な論者の漸増と軌を一にしているようです。
 国粋主義の跋扈、といいますか、歴史は繰り返す、といいますか、この国の行く末を不安に感じているのは僕だけでしょうか?

 
 

 

投稿: びっくりモグラ | 2010年1月21日 (木) 14時22分

びっくりモグラ様

お返事が大変遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。


>「民間人虐殺の日本軍の蛮行が、本当に事実としてあったのなら犠牲者が5人だったとしても戦時違反としても大きく訴えたはずです!!でもそんな虐殺はなかったから話題にすらならなかった!!!…だと思います。」とのコメントについて。
利他不動様はこの発言者の言葉でなく、同欄で同主張者の発言内容に大拍手を送られていますが、上記の内容はあなたの「ヒューマン」な今回の回答と対立していませんか?


この件、対立しておりません。
ご指摘のコメントは、国民党中央宣伝部内の国際宣伝処において「300回の外国人記者会見を対日批判のために行ったなか、そこで一度も虐殺の話がでなかった」ことを言われています。
「一度も虐殺の話がでないということは、人数規模の大小に関わらず、虐殺が無かったということではないのか」ということを訴えていらっしゃるわけです。

この方も私と同様、殺人の規模の大小を話題にし、規模の小さな殺人・虐殺を軽視、或いは無視するような意見は書かれてません。
「虐殺という事実は無かったであろう」との主張をされているだけです。


>しかも「戦時法」の概念規定、それを適用する場合の困難な諸課題をスルーしたまま「そんな虐殺は…」とおっしゃる。


確かに言葉は大切に用いなければなりません。
ただし読む側にも、書いた方の意図するところを汲む努力も求められると思います。
「そんな虐殺は…」→「そのような虐殺は」と読めばもうすこし穏やかに聞こえますか?
でも、そのようなことよりも、ここで私は「このコメントは命を軽く見た意見ではなく、虐殺の事実があったかなかったか、についての意見を述べているわけであり、そこが主題である」と解釈したのですが。。。

一つひとつの言葉に反応されると、相手の主張するところを誤って解釈してしまう恐れがあるようにも思います。


>挙句の果てに「情報弱者」「自虐史観」の持ち主だと僕をののしる。さんざ繰り返されてきた、これまでレッテル貼りの応酬次元で言えば、「自慰史観」の持ち主だと、そのボールを投げ返せばいいのだが、こういった徒労が何ほどの精神的生産に寄与したか?


私のブログにおいて、びっくりモグラ様が気分を害されたことには、大変申し訳なく思います。主催者である私から謝罪いたします。


残念ながら、ネット上でのコメントは対面ではなく、また電話のような双方向同時通信でもありません。そのために、相手の表情も、声のトーンも、身振り手振りも窺うことはできません。FAXであれば、字の大きさや自体で相手の感情も多少は認識できるでしょうが。。。
だから、コメントに残す言葉の使い方には、みんなが注意を払うべきであると思います。
また反面、やはり読む側も、このような環境下での意見や議論がなされていることを、踏まえておいた方が良いとは思います。


この部分での私の率直な感想を書きますと、
「自虐史観」については江藤淳の『閉ざされた言語空間』という書籍を、「戦後日本史を紐解く良書である故、ご一読されてみてはいかがでしょうか」と、紹介されているようにも取れるのですが。

しかしなによりも「自虐史観」とされたことにびっくりモグラ様が気分を害されたことは、申し訳なく、お詫び申し上げます。

人はみな、文章を読むことで書いた本人についてのイメージを持つものです。私の記事も、100人の読者が100通りの見方をされる時もあれば、大半が同じ感想をもたれるようなこともあるでしょう。
ご参考までに、私は「同意」「共感」等はもちろん嬉しいですが、「反論」「批判」についても極力そのことを受け入れ、自分の中で消化するよう心がけております。
これも一つの考え方、あり方であると思っていただければ。。。


「情報弱者」については、このブログでは私が使い始めた言葉なのですが、申し訳ありません。
ただ、私自身が自分のことを「情報弱者」であると書いているとおり、人はみな「情報弱者」状態に陥る部分を持っているものとして、使っております。
ご容赦ください。

次に、本題について。。。

私は記事に書いた通り、「南京大虐殺」についてはまさに「情報弱者」でした。
そこで、肯定派、否定派、それぞれの資料を複数チェックしてみました。
現状、その結論は記事に書いた通りです。
ただ、今後も機会があればもっと資料に目を通したいと思っております。

ただし、私にとっての目下の最重要事項は、日本再生なるまで、新政権と民主党、小沢一郎を守り抜くことです。そのために、都度その時点で取り上げるべきテーマも変わりますので、今回のテーマは一旦ここで終わらせていただきます。


>30万という数字にこだわっておられるようですが、東中野氏はじめ、引用された執筆者の方々は写真その他の材料は中国側による捏造だと断定しているのに比べ、小泉政権当時発足した!日中合同検証団体でさえ、数は確定できないが、少なくとも数万から20万前後の幅で虐殺があったことを報告しているのですが、両者の言い分をバランスよく検討すれば一方の意見に与することはなくなるとおもいます。


30万という数字ではなく東京裁判の結果とその後の中国の主張にこだわっております。そこにある数字が30万人ということだけです。
今回の私の「南京大虐殺はなかった」という解釈は、東中野氏の主張にも、これは間違いであるとか、完全に否定された部分もあることは承知しておりますが、そのうえでの解釈です。

小泉政権時の日中合同検証団体というのは、今回の「抗議の書簡」が送付された「日中歴史共同研究委員会」そのものではありませんか?
安倍政権時の2006年12月に北京で第一回会合がもたれていますが。小泉政権時には共同研究を立ち上げようとの提案が行われ、安倍政権時に共同研究立ち上げが合意されたと、そのように認識していたのですが。間違っていたら、すみません。


>民族を超越した「痛み」への想像力を保持していれば、国益を基軸にした外交論と失われた命への機械的二分化は無理なように思われますが、この辺はいかがでしょうか

理想と現実は異なると判断します。
また、心に命への痛みを持つことと、外交でのシビアな駆け引きとは、心の中での柔軟な切り替えが必要かと思います。
外交は、もちろん過去の命にも考慮せねばなりませんが、互いの国益を求めて行われるものです。もちろん国益には、現在の国民の健康と命を守ることが含まれます。
そのように考えております。

長々と失礼いたしました。
どうぞ宜しくお願いいたします。

投稿: 利他不動 | 2010年1月20日 (水) 02時31分

人間としての条件、を備えている人ならば、「人命尊重」に異を唱えるケースはあり得ない。(しばらく前までは確かにそうだったが、今や堂々と「人を殺してなぜいけないのですか?」と臆面もなく真顔で尋ねる新種の人類が現れつつある。それが人の道、だと教えられてきた旧世代は、狼狽しながらうまく回答できないでいる。宗教・倫理学、存在論を軸とした哲学、あるいは(老婆殺し」を主題にしたドストエフスキーのみでなく、国内外の文芸で数多くその主題が取り上げられてきた。「人殺し」がなぜいけないか、という、いわば道徳訓話に属するきれいごとの説教を超えた、人間という生き物の底知れぬ不思議さ難解さを突きつけられ立ち往生した経験をしたことがあった。
 不意を突かれ、しどろもどろに答える人を決して笑えない。僕だって、もごもごとわかったようなわからないような返答しかできない。言葉とその集合体である(理屈)を過不足なく、しかもあらゆる深みまで照射し浮かび上がらせる能力のかけらも持ち合わせていないからだ。
 で、最近は開き直って
こう単純に答えることにしている。
 「自分が相手になることだ…と」
自分が痛いと思うことを相手にすれば相手も痛いはずだと思う『想像力
』さえあれば倫を外すような事柄は起きない。むろん、「御為倒し」(表面は相手の為になるように見せかけて実は自分の利益を図ること。おためごかし)的な計算のもとに見られる「やさしさ」のことでない。
 真の優しさは真の想像力によってしか裏打ちされない。個別的な人間関係から国家間の問題まですべてに当てはまるが、最近の内外の動向を見ているとますますこの想像力が衰弱しつつあることが分かる。
 
そこで利他不動様のご回答について感想を申し上げます。
 あなたが中庸を志向するかたであるらしいことは、連携を取っておられる他ブロガー、および幾つかの記事を拝見し納得できました。ごりごりの固定観念論者(これはこれで魅力のある方も中にはいらっしゃいますが)でない認識を持ちました。
 ただ今回のお答えの内容が引用された論文に依拠してさらに持論を補強されているように思いますが、当の論文自体に、失礼ながら、レトリックによるあいまい化とシビアーに実証すべき材料の未提示があるようなので今一度再検討していただきたい、というのが一点。
 30万という数字にこだわっておられるようですが、東中野氏はじめ、引用された執筆者の方々は写真その他の材料は中国側による捏造だと断定しているのに比べ、
小泉政権当時発足した!日中合同検証団体でさえ、数は確定できないが、少なくとも数万から20万前後の幅で虐殺があったことを報告しているのですが、両者の言い分をバランスよく検討すれば一方の意見に与することはなくなるとおもいます。
 民族を超越した「痛み」への想像力を保持していれば、国益を基軸にした外交論と失われた命への機械的二分化は無理なように思われますが、この辺はいかがでしょうか

ありがとうございました。


投稿: びっくりモグラ | 2010年1月14日 (木) 17時20分

利他不動様、ありがとうございました。

「反論」「回答」の使い分けは実質上の意味を持ちえません。ニワトリが先か、卵が先か、ぐらいの話です。
主催がブログ主であり、賛否両論を含めたコメント欄が「従」である、という位置づけは理解できますが、そのような形式を念頭に置かなければ、「当該の主張内容への疑義提示」
は、反論、であると同時に回答をも含んでいるわけです。慣習的な暗示、としては「反論」が生徒であり、「回答」する側が先生であるので、微妙なプライドがそのこだわりを生んでいる可能性を排除できない、様に思われます。些細な事柄なので、「拘泥は禁」といわれそうですが…。
 
本題に入る前にもう一つ。
 「民間人虐殺の日本軍の蛮行が、本当に事実としてあったのなら犠牲者が5人だったとしても戦時違反としても大きく訴えたはずです!!でもそんな虐殺はなかったから話題にすらならなかった!!!…だと思います。」とのコメントについて。

利他不動様はこの発言者の言葉でなく、同欄で同主張者の発言内容に大拍手を送られていますが、上記の内容はあなたの「ヒューマン」な今回の回答と対立していませんか?
 しかも「戦時法」の概念規定、それを適用する場合の困難な諸課題をスルーしたまま「そんな虐殺は…」とおっしゃる。挙句の果てに「情報弱者」「自虐史観」の持ち主だと僕をののしる。さんざ繰り返されてきた、これまでレッテル貼りの応酬次元で言えば、「自慰史観」の持ち主だと、そのボールを投げ返せばいいのだが、こういった徒労が何ほどの精神的生産に寄与したか?
 レッテル貼りは十全な検証論証を行った後、刺身のつま程度に、ささやかな揶揄とおかしみを交えて
言うのが理想だが、ほとんどはそうならない。
 神州の泉さまも、利他不動様もこの点において「紳士の基準」を守っていられるので、罵倒の応酬、という結果にはならない、又そうしてはいけないように思います。

本題になかなか入れません。書いている途中で消去状態になるのでいったん送らせていただきます。なにしろネットについては若葉マークなので、原因がわかりません。教えて頂ければ…と思っております。

 

投稿: | 2010年1月14日 (木) 11時21分

びっくりモグラ様

ご返答いただきありがとうございます。

まず最初に、私の先のコメントはびっくりモグラ様への反論ではなく、回答ですのでよろしくお願いいたします。
 
>あなたの文意では、30万人の数字の信ぴょう性にこだわっているのか、「命」の崇高さ、他者の「生」を踏みにじる行為への怒りに力点が置かれているのか、判然としません。100%人命尊重と一方で言われながら、「もしも犯罪が~なりません」とおっしゃる。

この件、私の文書表現力なのか構成力なのか、問題があるようですね。いただいたご意見から反省し、再度前回コメントを引用加筆し、説明いたします。

『私も人命尊重を第一としております。戦時中の異常事態とはいえ、規模の大小に関らず戦闘以外の場で一般市民までその命を奪うことは、許しがたいものでありその罪を問うべきだと思います。本来であれば「南京大虐殺」を取り上げるならこの問題に加え、殺人以外の犯罪、例えば暴行など、その事実を検証し、事実に対してはその罪までを問うべきだと考えています。』
『しかし今回私が問題提起したかったことは、その人命や犯罪そのものへの論議ではなく「”中国が主張する30万人もの大虐殺は真実ではない”と考えられませんか」ということです。』
『日本の戦争犯罪については日本人として真剣に考えねばなりませんが、そのことの議論は取りあえず控えましょう。日本の戦争責任は中国にとっての重要な外交カードです。そのことを前提に、今回の「抗議の書簡」から「東京裁判で犠牲者30万人とされ、その後中国がそのことを主張し続ける根拠が否定されたのではないですか?」ということを考えてほしいのです。』
『もちろん、日本に非がある部分では率直に認め謝罪し戦争責任を果すべきですが、「南京大虐殺」について、彼らの主張が事実に反するものであるならば、今後、そこは慎重かつ冷静に、そして誠実に日本側の主張を通さなければなりません。そして世界に向けてもそのことを発信すべきです。』


以上、これが私の主張するとことろです。
ご理解いただけたでしょうか?

上記の通り、びっくりモグラ様から頂戴したご意見の前提が私の問題提起・論点から外れますので、今回の回答は以下省略させていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

投稿: 利他不動 | 2010年1月13日 (水) 13時32分

利他不動様
 
 僕の主張についての要約と丁寧な反論ありがとうございました。
 時間の制約上、4点全てにお答えするわけにいかないので、今日は第一点目のみに絞らせていただきます。
 2点目以下に関しては随時述べさせていただきます。
 
 あなたの文意では、30万人の数字の信ぴょう性にこだわっているのか、「命」の崇高さ、他者の「生」を踏みにじる行為への怒りに力点が置かれているのか、判然としません。
 100%人命尊重と一方で言われながら、「もしも犯罪が~なりません」とおっしゃる。
 30万人についての真偽は、時間の経過に比例して解釈が多様化しているのが実態であり、恐らく永遠に決着がつかない問題であるように思われる。むしろ僕も、30万人説については確定するデータはない、と確信している立場であってこの点については共認事項である。
 けれど、利他不動様は、「犯罪が無かったとすれば」という仮定の言い方が事実上「犯罪はなかった」という響きに、僕には聞こえてしまう.「日本側の主張や誇り,アイデンテティ」が正当性を主張できる必要条件は「犯罪が無かった」ことである。
 このケースにおいて問われるべきは「30万人」の真偽でなく、暴虐行為があったかなかったか、であり文意からは「全くなかった」と言われているように思う.
 宮台真司のように「関東軍の指揮系統のもとに行われたのでなく、無法状態のもと、兵隊たちが勝手にやったことだから日本国の責任は問われない」理屈は、沖縄の自決事件が上層部と遮断したところでなされた、という言い方と同じ形式論理によるすり替えだが、身も蓋もないのは、そうした強者の論理でかけがえのない命が虫けら同然にしょりされたことです。
 真の「誇り」「アイデンテティ」は事象への解釈から生まれるのでなく、事象そのものを認める謙虚さから生み出されると思いますが、これは巷間囁かれる、いわゆる(マゾヒスト的思考)とは無縁です。
尻切れトンボになりましたがこれから仕事ですので失礼します。  
  

投稿: びっくりモグラ | 2010年1月12日 (火) 17時43分

びっくりモグラ様

ご意見いただき、感謝いたします。

>たとえ5000人であった、としても人の命を「問答無用」で奪った事実に一切の弁解は許されません。一人の人間の命を奪う行為を誰が許すのでしょうか?

私も人命尊重を第一とする者であり、上記ご意見には100%同意します。
ところでご指摘の趣旨は以下のようにまとめてよろしいでしょうか。

・虐殺の規模ではなく虐殺そのものを問わねばならない
・中華人民共和国と対峙する台湾の資料に信憑性はない
・今回の認識は「新しい歴史を創る会」の言い分そのものである
・二次情報以下のソースで物事を断定すべきではない


・虐殺の規模ではなく虐殺そのものを問わねばならない

上述の通り、通常であれば虐殺・殺人・暴行など、その犯罪性を問うべきです。
しかし今回の問題提起は、人命そのものへの論議ではなく「”中国が主張する30万人もの大虐殺は真実ではない”と考えられませんか」ということです。
戦時中の日本軍の犯罪は中国にとっては強力な外交カードです。もちろん、日本に非がある部分では率直に認め謝罪し戦争責任を果すべきですが、もしも犯罪がなかったとされたなら、そこは慎重かつ冷静に、そして誠実に日本側の主張を通さなければなりません。そして世界に向けてもそのことを発信すべきです。
そこには日本人としての「誇り」「アイデンティティ」も問われてくると思います。


・中華人民共和国と対峙する台湾の資料に信憑性はない

茂木氏の「抗議の書簡」にある台北の国民党党史館というのは、孫文、蒋介石による国民党の資料館です。台湾は国民党が国共内戦で敗れた後に遷都した地ですから、台湾に国民党の資料館が存在して当然です。
その国民党が国共合作の最中に設置した国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要 1938年~1941年』の記述について、研究結果は「虐殺に関する記録がない」ということです。
この資料は国民党と共産党が協力し反日抗戦を進めた時期のものです。外部への公開を目的とするなら歪曲して日本の犯罪性を過大に記すこともあったでしょう。しかしこれは国民党の極秘内部資料であったため、事実に基づく記録が記されていると見てよいでしょう。
関連して一つ前のコメントにかっちょ様が書かれている通り、反日のための外国人向け記者会見において一度も「虐殺」「捕虜の殺害」に関する記録がないということです。
極めて信憑性が高いと言えませんか?


・今回の認識は「新しい歴史を創る会」の言い分そのものである

例えば私は、共産党の思想は受け入れられなくとも、彼らの指摘や主張に関しては納得できるところもあります。
別の例として「日本を貶めた10人の政治家」(幻冬舎)を読みましたが、正直言ってその内容に辟易したものです。自分たちの思想に合わないことを一方的に過激な表現で攻撃していますが、その主張の根拠・裏付けとなる情報は書かない。
ところが今回の茂木弘道氏による書簡には「南京大虐殺はなかった」とする明確な根拠が資料を基に論理的に示され、過激な感情表現もなく抗議文を理路整然とまとめられています。
そのお陰で「日本を貶めた10人の政治家」に書かれた内容も、ある部分では容認できるところも出てきました。
「新しい歴史を創る会」についても、思想的その他、反論はお持ちでしょうが、論理的に納得できる部分があれば、そこは受け入れる度量も必要かと思います。


・二次情報以下のソースで物事を断定すべきではない

そこのところは十分に注意しなければならないことだと思います。本来、どのような情報も自ら見て確認し、そのうえで考察すべきです。
しかしながら、自らが手に入れられる世の中の情報は、その殆どが二次情報以下のソースです。書籍もそうですね。
私たちは一時情報を得たとしても、自らの分析と合わせ別の二次情報を参考に自らの考察をまとめ上げることが多々あると思います。
その意味で、例え二次情報以下であっても、その情報が糸口となり他の情報を探り、答えを導き出すことができれば、それが自らの求めたものでしょう。
ですから、たった一つの情報ではなく、多方面からの情報・見解も自分の懐に入れるべきであると思います。

最後に、今回の私の「南京大虐殺はなかった」との見解は、コメントに書かれた「私の願望」によるところではありません。
私は常に中道を意識しています。「南京大虐殺」についても同様です。
今回は「南京大虐殺」を取り上げましたが、日本が被害者としての問題も有りますね。日本は太平洋戦争で兵士と沖縄・本土の市民を合わせ300万人に及ぶ犠牲者を出し、そのうち広島・長崎を含む80万人の一般市民は米国に虐殺されています。
そのことを米国が謝罪せずに正当化し続けることも、私は問題視しています。日本人虐殺がパールハーバーに対するものであったとしてもです。

長くなりました。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 利他不動 | 2010年1月12日 (火) 12時33分

びっくりモグラさま

この記事をしっかり読んでのご感想か?
とちょっと不安に思いますが、
当時は第二次国共合作の最中であり、
外国人記者を招いての記者会見でのことなんですよね!!?
虐殺がたとえ50人であったとしても、
民間人虐殺(仰るように剣で串刺しとか!?)の日本軍の蛮行が本当に
事実としてあったのなら、犠牲者が5人だったとしても
戦時法違反として、国際的に大きく訴えたはずです!

でもそんな虐殺はなかったから話題にすらならなかった!!!
・・・んだと思います。

先日植草真相掲示板に、江藤淳の『閉ざされた言語空間』を、
マッドマンさんが推奨されていたので、今読んでいますが、
戦後の自虐史観の原点を明らかにしてくれている名著です!

米国が日本支配のため植え付けた自虐史観が、戦後教育の下敷きとなったために、
現在の歪んだ戦争観が日本人に根付いてしまっているさまがよく理解できます!!!
ご一読いただければ、『情報弱者』状態を脱する事ができるかもしれません!!?

投稿: かっちょ | 2010年1月11日 (月) 23時33分

南京大虐殺が30万人であったという歴史について、その確証は確かにありませんが、しかし(虐殺)の事実についてもなかったと断言するあなたの見解もまた何の実証的根拠もありません。30万の数字が例えば5000人であればあなたはなっとくするのでしょうか?
 たとえ5000人であった、としても人の命を「問答無用」で奪った事実に一切の弁解は許されません。
 一人の人間の命を奪う行為を誰が許すのでしょうか?
あなたの、一切なかった、という事実はあくまで台湾側が言っているにすぎなくその台湾は中華人民共和国と敵対している事実をお忘れではありませんか?
 実際その中華人民共和国が、これまで対日本への補償とし虐殺に関する具体的な資料「たとえば、関東軍の兵隊が占領地帯で、当時のいわゆる三八銃の先に付いている剣で赤ん坊をほおり投げ、落下してきたその赤ん坊を突き刺しながらニタニタ笑っているその鬼畜にもとる写真をご覧になったことがあるでしょうか?

この写真は有名ですので中国政府はもとより、日本国内でもそれを保存している人は多いはずです。

 で、「残虐」行為はなかった、といいますが、その根拠は台湾政府と日本国内の、いわゆる(扶桑社が推進している「新しい歴史」の教科書執筆メンバーの言い分をあなたが代弁しているにすぎないのです。

 あなたが挙げた会長以下のメンバーに「新しい歴史を創る会」メンバーがちゃんと存在するのです。
 
 我々の限界は、二次情報以下のソースを元に水量するしかないのです。つまりあなたも僕も想像力でその二次情報を補うしかないのです。
その行為が無かった、という断定があなたの「そうあってほしくない」願望がいつの間にか「そういう事実はなかった」という結論になって可能性はありませんか?

 

投稿: びっくりモグラ | 2010年1月10日 (日) 21時35分

かっちょ様

全く同感です。
思いのこもったコメントをありがとうございます。

本当に、マスコミに操作された方と話すと、真実の情報が胡散臭くとられたりしますね。
しかし、日本を誰もが幸せな独立国家へと導くために、挫けずに情報発信を続けたいものです。

夏の参議院選まで、政府与党も国民も、苦しい戦いが続きそうです。

投稿: 利他不動 | 2010年1月 8日 (金) 13時22分

Orwell様

書籍のご紹介までいただき、ありがとうございます。
仰るとおり、真実には右も左もない、そして、愛国心にも、右も左もありませんね。
Orwell様の記事にはいつも刺激を受け、勉強させていただいております。
今後ともよろしくお願いいたします。

(トラックバック忘れてました。 後ほどさせていただきます)

投稿: 利他不動 | 2010年1月 8日 (金) 13時10分

AIU様

コメントいただき感謝いたします。

>大虐殺があった事は、先日の検証委員会で日中両政府が認めていますよ。
ただ、その規模(何万人が殺されたのか)で食い違いがあるだけです。

今回の「抗議の書簡」では
「30万人もの大虐殺はなかったのですよ」と、その裏づけとなる資料(特に虐殺されたという当事国側の資料)を基に書かれています。
私はそれらの資料を自分で確認したわけではありません。
しかし、日本ではなく”虐殺を受けたはずの当事国”の資料にそのことの記述が全く無く、毛沢東も触れていない。また胡錦濤国家主席に堂々と自信を持って質問状を出されている。
私は、これらのことを受け止め、見つめるべきだと思います。

もちろん、日本軍による犯罪や小規模の殺人はあったでしょう、しかし、東京裁判で下され中国が主張を続ける「30万人もの大虐殺」はなかったであろうと、私の認識は変わりました。

「日中歴史共同研究会」の発表は日中双方で検証してきたものの成果発表ですね。これが「大虐殺」を認めた以上、次回の検証までは「大虐殺が行われた」ことを前提に日中外交は進められるでしょう。
そこを私は危惧しております。
今回の書簡も、そのまだ先までを読み、広く知らしめるべく公開されたものと考えます。

テレビと新聞に関して、私は最近、政治・社会問題・歴史認識に関わる報道や番組は、そのまま受け入れずにまず疑ってかかるようにしています。やらせ、脚色、捏造がマスコミの特質ですから。
報道や番組の中で、何が真実で、何が嘘か、そこを見抜けなくとも、考えるようにしています。

ありがとうございました。

投稿: 利他不動 | 2010年1月 8日 (金) 13時06分

『情報弱者』
なんと、的を得た表現でしょう!!!?

しかも、今回の南京大虐殺の話題のように、
誰しもが陥る危険をはらんでいる!
メディアの特性を充分わかって見える利他不動さんでさえ、
今回のように具体的な情報に触れるまでは
真実に気付かず、繰り返されるお題目を漠然とながら、
事実であるかのごとく認識させられてしまっていた!?

まして社会や政治経済への関心が薄く、
それらの事象について、能動的に情報を求める姿勢を持たず、
マスメディアから流れてくる情報にしか触れない人間に
真実を知らしめることは「至難のワザ」に思えてしまいます!!

そんな人間は概して権威に弱く、
テレビで「インフルワクチンを接種しましょう!」と訴えれば、
「早く打たなきゃ!」と思い、
新聞に「小沢氏、事情聴取へ!」とあれば、
「やっぱり裏金やら後ろ暗いことがあるに違いない!」と判断し、
そんな誘導された意識の総体が世論を形作る
またそんな世論を基に政治の方向が決められる!!?

「テレビのコメンテーターが言ってたから!」
「新聞の論説に書いてあったから!」
というだけで、その内容について吟味したり疑うこともなく、
それが正論だと思い込んでしまう!!!
「真相はこうなんだよ!」と教えてあげても、
かえって怪訝な顔をされてしまって!?(-_-#)
財政赤字問題については、情報弱者が識者や政治家の中にも相当浸透し
悲観的な日本の財政赤字の問題を何とかしなくちゃ!と思い込まされている!!


大多数の『情報弱者のB層市民』
悲しいながら彼らの投票行動により選ばれた代議員によって
行なわれるのが、現代の『民主政治』=『衆愚政治』!??

メディアによる洗脳によって、大衆を愚劣な方向に仕向け、
一部の特権階級たる為政者利得集団が理性を失くして、
自らの支配の永続性と利権拡大にのみ走り出したとしたら、

その間違いを一部の覚醒者が、
その真相を指摘しその流れを食い止めようとしても
動き出した大きな流れを食い止める事は、「至難のワザ!」

ああぁwww悲観論に支配されそうwww!??
昨年の政権交代はある意味、メディアの洗脳を乗り越えて達成したはず!!
それゆえ、市民による無血革命と評価もされた!
しかしながら、国民生活のための真の改革を行なおうとする
新政権の前に立ちはだかるメディアのカベ!!!
さあどうやって乗り越えていったものでしょう!!???

投稿: かっちょ | 2010年1月 7日 (木) 22時27分

The Politics of Nanjing:An Impartial Investigation by Kitamura Minoru のご一読をおすすめ致します。英文で出版され、しかも、プロパガンダの当事者の国での出版でしたから、画期的な研究でした。真実には、右翼も左翼もありません。

アマゾンのリンク先は、http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0761835792/tokyonotes-22 です。ご参考まで。

南京大虐殺は、いつもの政治宣伝のプロパガンダです。

いずれにしても、当方拙文にご関心を頂き感謝します。

投稿: Orwell | 2010年1月 7日 (木) 10時45分

大虐殺があった事は、先日の検証委員会で日中両政府が認めていますよ。
ただ、その規模(何万人が殺されたのか)で食い違いがあるだけです。

上官の命令などで中国の罪なき民衆を斬り殺した旧軍人の人達の告白のドキュメンタリー番組を視たことありませんか?

投稿: AIU | 2010年1月 7日 (木) 09時18分

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